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 橘の姿が見えなくなるまで見送り、先に教室に入った戸田と花咲の後を追おうとした瞬間、教室から誰かが飛び出してきた。驚いて間一髪で体を退かして衝突は避けたものの、相手は避けようとしてよろけながら壁の方へ体をぶつけてしまっていた。 「っう……!」 「悪い、大丈夫か?」  衝撃で思わず漏れてしまったらしい声がかなり痛そうで、慌てて声をかける。俯いていた顔が此方を向いた。長い前髪に黒縁眼鏡──委員長だ。 「ああ……僕の方こそごめん。ちゃんと見てなかった」  ぶつけた左肩を右手で押さえながら、委員長は眉をハの字にして頭を下げた。俺は大丈夫だから、と言えば、委員長はほっとしたように少しだけ口角を上げた。 「僕、ちょっと呼ばれてるから」  そう言って、委員長は肩を押さえたまま早歩きで、各教科の職員室があるエリアとは別の方向──五階フロアがある校舎の方へと去っていった。恐らく副会長からの伝令のために。  今度こそ教室に入って自席へ向かい、戸田や花咲と普段通りに雑談をして朝のホームルームまでの時間を過ごす。初めは(まば)らだった教室は、時間が経つにつれ登校してきた生徒たちで埋められていき、喧騒も大きくなっていった。  席が殆どが埋まり教室がいつもの活気ある状態を取り戻した頃、委員長が蒼白な顔で教室へと戻ってきた。 「み、皆! ちょっと話があるから聞いて、ほしい」  小さな体から放たれた焦りを含む言葉に、ちらほらと何人かのクラスメイトたちの視線が、委員長へ向く。それでもまだ教室を包む声の音量は下がらない。見かねた戸田が呼び掛けようと口を開きかけたが、それより早く委員長がぐっと両の拳を握り込み、半ば叫ぶように告げた。 「この学園で、こ、殺し合いが始まるかもしれないんだ!」  水を打ったように教室内が静まり返った。皆の視線が、肩を上下させる委員長へ突き刺さる。その視線の多さに少し怖じ気づいたのか、委員長は首を竦めて一歩後退り、恐る恐る口を動かした。 「……副会長からの伝言。転入生たちがA、B、Cクラスの大部分を乗っ取って、D、Eクラスの生徒に対して危害を加えようとしてるらしい。生徒会関係の人たちは僕らの味方になってくれるらしいから、力を貸してくれる人は放課後生徒会室に来てほしい。巻き込まれたくない人は、狙われたら命の保証は出来ないから、出来るだけ大勢で行動して、あまり出歩かないように、とのこと……です……」  徐々に小さくなっていく委員長の言葉を、皆は茶化したりすることなく真剣な表情で聞いていた。  副会長は、俺が標的だということは伏せたらしい。俺一人に責任がのしかからないようにという気遣いだろうか。それとも、俺さえ向こうに突き出してしまえば解決すると考える奴が出てくることを危惧したのか。  誰も言葉どころか物音一つ立てない、しん、とした教室に、廊下から段々と大きく響いてくる足音が一つ。それは一瞬教室の前で止まり、がら、と音で静寂を切り裂くようにして開いたドアから、眠そうな顔をした神沢先生が入ってきた。 「おー、お前ら起きてるかーって、ん? 若月、どうした」  ドアのすぐ傍で立ち尽くしている委員長に、神沢先生は首を斜めに倒しながら声をかけた。先生の声でびくり、と身体を震わせた委員長は、「な、なんでもないです」とぶんぶんと首を振って自分の席へと慌てて戻る。そんな委員長の様子と、いつもとはうってかわってやけに静かな生徒たちを不思議そうに眺めながら、先生は教壇に立ち、いつものようにホームルームを開始した。

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