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「藤原」  背後からとん、と肩に置かれた大きな手の感触に、思わず息を詰める。しかし、呼び掛けた声は最近よく聞く声だった。  振り返れば予想通りの姿。 「人が多い間に帰るぞ」 「ああ」  橘の言葉に頷けば、花咲がにやにやと俺を見てくる。流石にもう手を出すにはいかないので、余計なことを考えるなよと目で訴えかけながら、花咲と別れた。  普段よりも早足で寮へ戻っていく生徒たちに紛れ、橘と寮の玄関まで来たタイミングで、着替え等を一切持っていないことに気付く。そりゃそうだ。今さっき泊まることを聞いたのだから。 「橘」 「どうした」 「一旦部屋に寄っていいか。泊まりの準備が出来てない」 「ああ、分かった」  橘からの了承の返事を聞いて、ここで待っててくれと告げようとすれば、隣に並んで歩いていた橘は俺の前に出て、俺の部屋の方へ足を進め出す。 「おい、別に一緒に行かなくても……」 「いつどこで襲われるか分からない。一瞬でも一人には出来ない」  ちら、と俺の後方に移した橘の視線を追って振り向けば、此方を凝視する如何にもガラが悪そうな生徒たちが少し遠くに見えた。橘と俺の視線に気付いたのか、その生徒たちはわざとらしく大声で互いに喋り出す。そんな集団が、至る所に居ることに気付いた。 「周りは敵だらけだぞ」 「……みたいだな」  表情を固くして、早歩きで橘の横に並ぶ。学園の半分以上が敵という状態にいまいちピンと来ていなかったが、かなり危険な状態だというのを再確認した。橘がこうして傍に居なければ、いつ囲まれて(なぶ)り殺されてもおかしくない。  唇を引き結んだ俺の頭へ、ぽん、と橘の手が乗っかった。手はすぐに離れていったが、確かに橘の体温は俺へと伝わった。悪夢で狂う俺を、静かに(なだ)めるあの時と同じ温かさ。 「……助かった」 「護るって約束したからな」  ありがとうの五文字は何だか妙に恥ずかしくて口に出せず、代わりにそう呟いた言葉に、()も当然というように息を吐く橘。そうだったな、と、俺は密かに頬を緩めてまた小さく呟いた。  襲われることなく辿り着いた部屋から、泊まりに必要そうな物を最低限だけ持ち出し、橘の部屋へと向かう。普段であればまだ下校中の生徒たちでごった返している廊下も、今日は既に誰の姿もなく、物悲しく吹く風が俺たちに纏わり付いてきた。 「……待て」  唐突に、橘が俺の前に腕を出して動きを止めた。その瞬間、風とは違う音が俺の鼓膜を揺らす。本当に小さかったが、かさ、という布が擦れ合うような音を、俺は確かに聞いた。 「………………」  少し先にある曲がり角から、人の気配がする。 「…………誰だ」  橘がその気配へと問いを投げた。もぞり、と気配が動く。コツ、と革靴で地面を踏む音と共に、その気配は実体を俺たちの視界へと映し出した。  

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