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 橘の部屋の玄関扉が閉まったと同時に、俺は詰めていた息を吐き出した。  先に部屋に入った橘は、息つく暇もなくせっせとキッチンの方へ行ってしまった。ワンテンポ遅れながら俺もリビングの方へ向かう。とにかく精神的に疲れてしまっていたせいか、ずっと敬遠していたソファーに体を投げ出すようにうつ伏せに横たわった。  午後一の授業が終わったあとは花咲と戸田に、放課後は鈴木や長谷川を連れて生徒会室まで赴き、副会長を交えて昼休憩時のことを伝えた。話を聞いているうちに皆一様に苦虫を噛み潰した表情になり、話し終えて暫くの間は口を閉ざしたままだった。  皆に精神的負担をかけているのは重々承知している。俺が今すぐ司馬のところへ単身乗り込んだ方が、早く決着がつくのも分かっている。しかし、それが出来ないのは、橘を筆頭に俺を守ろうとついてきてしまう存在がいるからだ。俺だけならまだしも、皆をみすみす敵陣に乗り込ませるようなことはしたくない。  ──俺がいなければ。  数えられないくらいに考えてきた『もしも』の世界。その世界を否定し、道を潰してきたのは自分の存在そのものだ。しかし、そんな逃げ道に縋らなければならない程に、俺の精神は歪み始めている。  結局、俺が生きている限り、周りを不幸にする運命は避けられない。それなのに、死ぬことすら(ゆる)されない。  肌に当たる(なめ)らかな感触をもっと感じようと、無意識に顔をソファーに押し付ける。ううー、と小さく声を溢せば、数秒後に俺の髪に何かが触れた。  左目だけをソファーから離すようにほんの少しだけ顔を左へ動かす。すると、太い指がその目に近づいてきて、少し下の頬あたりの肉を優しく押した。 「……なんだ」 「お前が悪い訳じゃないからな」  ぼそりと呟かれた言葉が、俺の心臓を容赦なく鷲掴む。  俺が悪くなくて、誰が悪いんだ。俺がいなければ、司馬がここに来ることも、会長たちが狙われることも、山中が死ぬことも、戸田が殴られることも、花咲が襲われることも、何も、何もなかったのに。  命の液体が、握り潰されたそれから流れ出していくような感覚。血に溺れた身体は息をすることすらままならず、(もが)くように胸を掻き抱いた。 「おい、どうした!?」 「……っかは……、っ、ハァ……」  背中を擦る橘の手が、針のようにちくちくとした疼痛を生み出す。  駄目だ、触るな。俺に、関わるな。  息苦しさに加えて、痛みに脳を支配された身体は、自らに触れる者を拒絶した。 「触るな……!」 「ッ……!」  振り抜いた腕が、俺の傍にいた人物の頬へと衝突する。腕が当たったそいつは、よろめきながら尻餅をついた。 「……っはぁ……はぁ……」  眼球に薄く張る涙の膜が、視界をぼやけさせる。ぐにゃりと曲がった世界が自分の存在を表しているようで、引き攣った口元で奇妙な弧を描いた。  ──もう、駄目だ。俺には、他人の命をこれ以上背負うことはできない。  徐々にクリアになっていく景色。腕が当たったせいか赤みを持つ頬を押さえることもせず、心配そうな面持ちで俺を見る橘の姿が映る。 「藤原……?」 「…………すまん」  絞り出せたのは、それだけだった。橘は目を伏せる俺に近付けた指を触れる寸前で止め、ぴくりと指先を動かしたあと、静かに腕を下ろした。 「……飯作るから、寝てていいぞ」  俺の顔は見ずにそう告げて、橘はキッチンの方へ歩いていく。少し肩を落としたようにも見えるその後ろ姿にかける言葉を、俺は何も持ち合わせていなかった。

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