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 一瞬の無の後、脳に到達した信号は『人体の損壊』を示していた。 「ッい゛あ゛ァ────ッ!!」  圧迫が解かれたせいで巡り出した血液が、その言葉にならない絶叫を喉から押し出す。見開いた目は閉じることを忘れて、弄ばれた腕をじいっと見続ける。手放されてどしゃ、と床に落ちた腕は肘からあらぬ方向に曲がっていて、自分のものではない錯覚に陥った。ぴくぴくと痙攣する指先が、別の生き物のように蠢いている。全身を包む震えによって脳が寒いと認識するが、依然として身体は熱を持っていた。 「……っはは、はははっ、ハハハハハハッ!! 最ッ高だな、その顔ッ!!」  狂ったように高笑いした司馬のぎらついた瞳が俺の顔を映す。司馬の左足が、可動域を越えて曲がっている肘を容赦なく踏みにじった。割れた骨が、ごりごりと周りの肉を押し潰しながら中で行ったり来たりしているのが、視覚と触覚、聴覚の三方向から脳に刻み込まれる。  右腕に走るこの感覚が、何なのかが分からない。自分の記憶の中にある言葉では到底当てはまらない。激痛? いや、そんなものではなかった。脳が理解できる衝撃を越えている。口にある布がなければ、舌を噛み切っていたかもしれない。  脳のキャパシティはとうに痛みで満杯になっていた。口を突く叫びは壊れたテープのごとく断続的かつ不規則に掠れた状態で放たれ、喉はもはや使い物にならなかった。それでも与えられ続ける神経が焼き切れそうな刺激に、視界が霞む。  俺の肘に自身の全体重をかけながら再びしゃがみ込んだ司馬は、涙や鼻水にまみれ、口の端から涎を垂らす俺の顎を掴んで近くに寄せようとした。身体はもちろんまだ動かないため、首だけが無理やり伸ばされるような状態になる。 「無様だなぁ、藤原。たかが肘を折られただけでそのザマか。テメェの汁で顔がぐちゃぐちゃじゃねえか」  近くにいるからか、鮮明に聞こえる司馬の声。辛うじて身体が覚えていた息の仕方で必死に呼吸をしながら、重たい瞼を開けて司馬に視線を送る。 「テメェは俺がぐちゃぐちゃにしてやるって言っただろ。勝手に汚してんじゃねえぞ」    文句を言いながら、司馬は嗤っていた。それはそれは、愉しそうに。玩具をプレゼントされた、無邪気な子供のように、司馬は唇に弧を描いた。 「痛いか? 苦しいか? どうだ、絶望したか?」  矢継ぎ早に飛び出す問い。だが、答えを求めていないのは雰囲気で感じ取れた。中学時代に手を出せなかった俺を、ようやく嬲って、痛めつけて、這いつくばらせることが出来たことに、こいつは途轍もない優越感を感じているのだろう。  答える気力は無かった。答えてやる義理もなかった。ふう、ふう、と息を漏らすだけの俺を、司馬は満足気な表情で眺めていた。

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