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 不意に、コンコン、と控えめなノックが病室に響いた。俺が橘に目を合わせるより先に、橘が立ち上がってカーテンを開け、ドアの方へ歩いていく。橘を追った視線が、いくつかの空っぽのベッドを捉えた。気配で何となく気付いていたが、大部屋ではあるものの他に入院している患者はいないようだ。  何やら話し声が聞こえ、足音が近付いてくる。俺の視界に戻ってきた橘が、口を開いた。 「他の奴らも来てるが、相手できるか?」 「……戸田以外なら」 「分かった、あいつは出禁にしておく」  至極真面目な顔で頷いた橘がドアの方へ戻ると、遅れて「なんで俺だけ!?」と聞き覚えのある叫び声が聞こえてきた。容易に想像できる姿にくく、と漏らした笑い声は、その振動が響いたせいで右腕が一際強く痛み、呻き声になった。 「ッ──冗談だ。橘、戸田も入れてくれ」  左手を患部に添えながら橘に呼び掛ける。少しして、複数の足音と共に、見慣れた顔ぶれが目に入った。 「聖ちゃん!」  泣きそうな顔で今にも飛びかかってきそうになった戸田の眼前に、左手を差し出す。同時に、橘が背後から戸田の首に逞しいその腕を回して、後ろへ引いた。 「ぐえッ!!」  蛙が潰れたときの鳴き声によく似た悲鳴が戸田の口から溢れ出る。ぐき、と良くない音がしたような気がしたが、気のせいか。 「飛びかかるな」 「ぐぅ……! 口で言えよ!」  頭上にある橘の顔をこれでもかと睨みながら叫ぶ戸田。確かに実力行使より先に口で言えというのは正論ではあるが、口で言ったところですぐに忘れた戸田からの暴挙の被害者としては、強制的に止めてくれた橘に内心で賛辞を送った。 「戸田には前科があるからな……」 「あったね……」 「あったな……」  俺が溢した言葉に、花咲と鈴木が遠い目をしながら同調する。長谷川は言葉には出さなかったが、呆れた様子で戸田を見ていた。  俺の言葉に橘はぎらりと目を光らせて、さらに戸田を締め付ける力を入れたらしい。ギブギブギブ! と太い腕をバシバシ叩いて(もが)いた戸田は、ようやく解放された自身の首を擦りながらうげー、と舌を出した。 「もうほんっとこいつ嫌い! 聖ちゃんこいつのどこがいいの!?」  戸田の怒りの矛先がちらりと俺の方へ向く。橘がいいとは一言も言ったことはないが、お灸は据えておくべきか。 「そうだな、強いて言うなら怪我人に抱き付こうとしてこないところだな」 「それはほんとにごめん……」  そう言った戸田は、途端にしゅん、と耳の垂れた子犬のように大人しくなった。隣にいる花咲が天使のような笑顔でふふ、と笑うのが視界に入る。 「反省してるならいい。心配してくれてありがとな」  戸田を指で呼び寄せて、手の触れる場所まで来た頭に左手を乗せれば、戸田は眉尻を下げたまま唇に弧を映した。

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