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 花咲がいなくなった病室に、また静寂が戻る。先程よりは軽いものだったからか、今度は橘が口を開いた。 「……気にするな。お前が悪い訳じゃない」  ざわ、と心に陰が蔓延っていく。昨日のように橘を拒絶したくなる感情を抑え、落ち着くために大きく息を吐いた。 「なあ、橘。それを言うのは止めてくれないか」  俺の言葉に、何度か瞼で隠れた橘の瞳が揺れる。 「え……?」 「会長の言うとおり、俺が周りを不幸にしてるんだ。どう考えても、俺が悪い」 「藤原……」 「でも、俺はもう逃げない。全部抱えて生きてやる。今度こそ、俺がみんなを守りたい」  自分でも馬鹿に思えるくらい、ヒーローじみた言葉が口から出る。それでも、俺は自分の言葉を嗤わない。もう、嗤って蔑む時間は終わりだ。 「ただ、俺は正義のヒーローにはなれない。だから、危ないときはお前たちに頼ることになる。もちろん、俺の傍にいたらお前たちも危ない目に遭うと思う。それを承知の上で頼みたい。これからも、俺と一緒に居てくれるか?」  橘、戸田、鈴木、長谷川の順番に視線を移しながら問い掛ける。初めに反応を示したのは戸田だった。 「もちろん! 聖ちゃんが嫌って言っても、もう離れないから! 聖ちゃん専用くっつき虫になる!」 「怪我してるときに抱きつくのだけは止めてくれよ」  苦笑しながらそう言うと、戸田は意外にも綺麗な敬礼をして「いえっさー!」と返事をした。本当に分かっているんだろうか。 「ダチには付き合うもんだろ、なあ漣?」 「少なくとも、こいつの傍にいるよりは藤原の傍の方が安全だと思ってるから安心しろ」  にやりと笑った鈴木に目配せされた長谷川が、その視線から逃れるように一歩下がって、親指で鈴木を指差しながら返答する。途端に鈴木の顔から笑顔が消え、眉根を寄せて長谷川に詰め寄った。 「漣はいちいち一言多いんだよ! まさか俺が嫌いなんじゃねえよな?」 「むしろ好かれてると思ってたのか? 心外だな」 「はあ!? お前好きでもないやつとセックスすんのかよ!?」 「ッ──!!」  とんでもない事実を暴露されたからか、一瞬で長谷川のポーカーフェイスがぼろぼろに崩れ去った。茹でダコのように顔を真っ赤に染め上げた長谷川は、鈴木の腹部に目にも止まらぬ速さで拳を叩き込む。お手本のような見事な右アッパーだ。至近距離で避ける動作すら出来なかった鈴木の身体がくの字に折れ曲がった。そのまま、目を見開きながら二歩ほど後ろへ後退り、腹を押さえたまま白い病室の床の上に倒れ込む。 「ぅ……本気、は、だめ、だろ……」  遺言のようにそう言い残し、鈴木の身体が動かなくなる。その横で、はあはあと息を切らす長谷川。戸田も橘も、もちろん俺もどう反応して良いか分からず、ただ視線を長谷川と鈴木に交互に移すことしか出来なかった。  とにかくこの状況を打開せねばと、苦し紛れに慰めの言葉を長谷川にかけた。 「あー……えっと、花咲がいなくて良かったな?」  ぐるん、と物凄い勢いで長谷川の首が俺の方へ向いた。その形相といったら、まるで鬼でも乗り移ったかのような凄まじい怒気にまみれている。顔が赤いせいで、おとぎ話に出てくる赤鬼のようだ。

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