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 しばらくして何とか落ち着いた黒矢が、鼻をずびずびと鳴らしながら俺を見た。眼鏡は早くに花咲によって取り払われていて、もっさりとしていた髪は涙に濡れて容積を減らしているためか、今度はしっかりと目が見える。綺麗な黒色の目だ。 「……」 「……」  何か言いたいのか、口をもごもごとさせながら、俺を見たり明後日の方向を見たりと黒矢の視線がせわしなく動く。俺からまた話を切り出すことも出来るが、ここでせっついてしまっては、黒矢の心の内を見ることはできない。だから、黒矢が話し出すまで俺はじっと黒矢を見つめ続けた。  五分くらいは経っただろうか。ようやく俺の瞳に視線を固定し、黒矢はすう、と息を吸った。 「……本当に、すみませんでした。それから──ありがとう、ございました」  予想外の言葉を耳にして、思わず瞬きを何度も繰り返す。宥めていた花咲たちならまだしも、俺は感謝されるようなことをしていない。 「礼を言われるようなことは何もしてないと思うが」 「……僕にとって、雉ヶ丘に来てからのこの数週間が、今までの人生で一番楽しいと思えた時間だったんです。みんなで登下校したのも、みんなでお昼ご飯を食べたのも、全部全部、初めてで……本当に、本当に楽しくて、このまま時が止まればいいのにって、司馬くんが、藤原くんを見つけなければいいのにって……ずっと思ってました」  今までで一番自然な笑顔が、黒矢の顔に一瞬だけ浮かぶ。あの何気ない日々で黒矢の心が救われていたなら、それを失くす道理はない。言葉尻からして、黒矢は俺たちから離れるつもりなのだろうが、それは戸田も花咲も、もちろん俺も許さない。 「そうか。これからは、もっと楽しくなるぞ」 「え……?」 「戸田と花咲の相手を一人でするのはしんどいんだ。黒矢にも居てもらわないと」  僕の相手なんて簡単でしょ!? と口を尖らせながら抗議する花咲に、わざとらしく肩を竦めてみせる。視線を黒矢へ向けて口の端を吊り上げてみれば、黒矢は泣きそうな笑みで小さく頷いた。その直後、隣から「俺もいるぞ」なんて言葉が聞こえてきて、はいはい、と流す。そもそも橘はどう考えても花咲や戸田側、つまりボケに分類される人間だ。橘がいたら負担が増えるだけで何のメリットもない。  病室が和やかな雰囲気になったところで、さっきまでむくれていた花咲が、何だか不穏な笑顔を浮かべて腕を高く上げた。 「一段落したみたいだし、二人に聞いておきたいことがあるんだけど、いいかな?」  白谷と黒矢に向かって、にこり、と微笑む花咲。何も知らない人が見れば聖母のような微笑みだ。しかし、とてつもなく嫌な予感がする。

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