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深い呼吸をして感情を抑え、何をしていいのか分かっていない様子の橘を見据える。
出来ればこのまま橘を置き去りにして病室に帰りたい。しかし、そんなことをすればまた神弥がしゃしゃり出てくるのは目に見えている。それに、突然トイレに連れてこられて放置されるのも可哀想だ。
少しの我慢で、悪夢を見なくて済むなら。
「……橘、一回しか言わないからよく聞け」
意を決したはずなのに、声帯を震わす振動は不規則に揺れる。それに気付かれないように、橘からの反応を待たずに言葉を続けた。
「お前に……その……えっと…………して、ほしい……」
堂々と宣言しようとした声はむしろ恥ずかしくなるほどへたれていて、選んだ言葉も遠回しなものになってしまった。急激に襲ってくる羞恥心によって火照った顔がとてつもなく熱い。橘に向けていた視線もいつの間にかタイル張りの床へと移り、降りかかる返答をただ待つしかなかった。
しばしの沈黙。ばくばくと心臓が打ち鳴らす脈に合わせて、身体全体が揺れているように思える。俺の言葉を、橘はどう解釈するのだろうか。
数秒後、橘の気配が俺に被さってきた。顔の横を通り、耳の近くで息が吐かれる。
「それは、俺の好きなように受け取っていいのか?」
静かな、しかし確かに雄を感じさせる声が鼓膜を伝って俺の脳に侵食してくる。普段の俺なら、即座に駄目だと言い返すところだ。なのに、俺の口はそう動いてくれない。
「……尻は、いやだ」
「分かった。目を瞑っていろ」
橘に言われた通りに目蓋を閉じると、入院着がはだけた感触と共に、橘の手らしき熱が太ももを滑った。思わず出た息を呑み込めば、「大丈夫だ、後ろは弄らない」と橘からのフォローが入る。訳も分からずこくこくと頷いて、これ以上自分から余計な声が出ないようと左手で自分の口を覆った。
俺より上にあったはずの橘の気配が消えて、下着がするりと足を下っていく。外気に晒された下半身が心許なくて、恥じらう淑女のように股を内に寄せた。
「閉じるな」
「っでも……」
「何回も見てるだろ、今更だ」
下から聞こえてくる一見平静に思える声色。しかし、剥き出しの皮膚を撫でる風は驚くほど熱い。目を開けなくても、自分と橘が今どんな状態になっているのかが容易に想像できて、余計に太ももに力が入る。何故橘はしゃがみ込んでいるのだろうか。擦るだけなら、立ったままでも出来るはずなのに。
その理由は、考えなくてもすぐに思い至った。剥き出しになった俺の陰茎を包んだ感触が、どう考えても手のひらのそれではなかったからだ。
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