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 真実かは分からないものの不可思議な現象の理由を把握できたお陰か、起きたときよりも気分が持ち直してくる。  朝食を下げにきた看護師はご飯の残し具合を見て酷く心配していたが、「夢見が悪い」で押し通した。血圧や体温が基準値よりもかなり低く出ていたことで別の検査を受けさせられそうになったが、頑なにそれは拒んだ。俺の右肘の状態が普通ではないことに、誰であろうと気付かれたくなかった。  そうしてようやく一息ついた頃には、既に時計は十時を回っていた。確か、ここの面会の時間は十時からだったはずだ。だとしても、そんな朝から誰かが見舞いに来るとも思えないが。  テレビをつける気は起きず、窓の外に視線を固定する。以前の入院では青々と繁っていた木々は、今は朱く色付いて景色に華を添えている。その朱の隙間から遠く向こうに見える学園の校舎に思いを馳せた。  みんなは無事に過ごしているだろうか。司馬やその取り巻きたちが、みんなに手を出してはいないだろうか。  そして、心配で覆われた心に走る、微かな痛み。  ──独りでいるのは、こんなに寂しいものだっただろうか。 「おはよう、藤原」  鼓膜を揺らす聞き慣れた声が足元からかけられ、反射的に窓から目を離した。その視線は、この病室に現れた俺以外の人間へと向かう。 「ノックしても反応がなかったから勝手に入ったぞ」 「…………」 「……どうした? 不味かったか?」  俺からの返事がないことを悪いように捉えたのか 、橘が眉尻を下げながら聞いてきた。 「い、いや、来ると思ってなかったから驚いただけだ。というか、授業はどうした?」 「お前の相手の方が大事だ」  どう考えても授業の方が大事だろ、と返答しようとして、一昨日の屋上でのやり取りを思い出す。勉強が出来るらしい橘にとって、授業の優先度はかなり低いのだろう。かといって橘の言葉をそのまま呑み込むのも憚られて、視線を逸らしながら「授業は大事だぞ」とだけ返しておいた。 「痛みはどうだ? 朝は何もなかったか?」 「……大丈夫だ。悪夢も見なかった」  そうか、良かった。  そう言った橘の声に安堵の色が乗る。  橘はベッドのそばの椅子に腰掛けて俺の方へ手を伸ばしてきた。迫ってくる手から逃れたいという気持ちは起きず、微動だにしない俺の左のこめかみ辺りの髪を、何の障害もなく橘の指が掻き上げる。 「こんな朝っぱらから来て、いつまで居るつもりなんだ?」 「迎えが二十時前に来る」  緩やかに動く手を好きにさせながら問いかけると、橘は無表情のまま端的に答えた。 「夜までずっとここに居座るつもりなのか!?」 「ああ。昼飯は先に持ってきたから気にしなくていいぞ」  ずい、と目の前に差し出されたビニール袋。その中には、手作りだろうか、握り拳より一回りくらい大きな特大のおにぎりが五個、そして大きな長方形の弁当箱らしきものが入っている。別に橘の胃袋事情は気にしたつもりは全くなかったが、そのおにぎりたちの圧に負けて「そ、そうか……」と返すと、橘の口元が得意気に歪んだ。

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