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 窓から視線を外すことなく、少しだけ顔を後ろ側へ向けて司馬が矢野に問いかけた。 「矢野。樋山から何か聞いてるか」 「樋山? なーんもー。そういや最近顔も見てねー」 「……あいつもそろそろ切り時だな」 「藤原で遊んだ時も来なかったしなー。情報も最近ぱったりだしイキってる割に弱っちいし使えねー。あ、てかもう奴らにぶっとばされてっかもねー」  喋るのを許されたからか、矢野が途端に饒舌に言葉を吐き出す。橋立が様子を窺うように司馬へ視線を向けたが、司馬が先程のような殺気を纏うことはなかった。  司馬が窓から目を外して、少し先にある校舎の入口を見据える。両開きの扉はいつもと同じように全開になっている。その扉を暫し見つめて、司馬はぐい、と左の頬を吊り上げた。 「──矢野、橋立。こっからはの時間だ。存分に楽しめ」  悪魔のような笑みが、端正な顔にべとりと貼り付く。矢野は少し目を見開いてから、司馬によく似た笑顔を作った。 「……なーるほど、りょーかーい」 「……」  橋立はこくり、と小さく頷くのみだったが、他人が気付かない程度に口元にうっすらと弧を描く。  再び歩みを進めた三人が校舎の入口付近に来た瞬間、矢野と橋立が司馬の前に躍り出て両開き扉の左右の袖に飛び掛かった。 「オレとあそぼーぜぇぇ!」  矢野が袖に隠れていた男子生徒の腹部へと握り拳を叩き込む。続けざまに、くの字に折れ曲がった体についてきた頭を掴んで、振り上げた膝に勢い良く押し付けた。ごりゅ、という骨と骨が擦れ合う鈍い音と共に、悲痛な叫びが辺りに響く。 「ああ゛あ゛ぁぁッ!」 「ひひっ、真っ赤真っ赤~! 真っ赤なお鼻のチンパンジー!」 「……トナカイだろ」 「あれ? トナカイって鼻赤ぇのー?」  司馬の指摘に矢野がきょとんとして首を傾げる。そんなあどけない顔に似合わない、血塗れになった灰色のスラックス。その血の持ち主は、鼻からボタボタと垂れる血に青ざめ、腹を抱えて廊下に転がっている。  目の前の仲間が幾秒も経たないうちに地に伏され、後ろに連なっていた生徒たちが短い悲鳴を上げて一斉に身を後ろに引いた。しかし、矢野の獰猛な目は視界に映った遊び相手を誰一人として逃さぬよう、視線のみでその場に縛り付ける。 「おいおーい、オレらと遊びたくて待ってたんだろぉー? そう照れんな、よッ!」  蹴り上げた靴の裏から砂がぱらぱらと舞う。それが地面に落ちた頃には、矢野の周りには既に三人が地面に倒れていて動かなくなっていた。少し離れた場所には、尻餅をついたまま絶望の色を目に宿している生徒が一人。ゆっくりと近付いてくる矢野を見上げて、残ってしまった一人はがくがくと顎を震えさせながら絶叫した。 「クソ、クソ、クソォォォッ!!」 「あは、ザコの喚き声最高じゃーん」  言葉の終わりと共に訪れる制裁の時。目にも止まらぬ速さで、矢野の右の踵が生徒の鳩尾に食い込んだ。目を見開いたその生徒の頬がみるみるうちに膨れていく。風船のようにパンパンに膨らんだ口に遂に穴が空いて、抑えきれなかった消化途中の粘液がバチャバチャと溢れ出し、生徒の顔と床を汚した。

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