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橘の瞳に、虚を突かれた司馬の表情が写り込む。移動時の推進力を加算して放った蹴りが、容赦なく司馬の腹部へと突き刺さった。衝撃を受けた身体がふわりと浮いて、後方へと吹っ飛んでいく。
両隣にいた二人など、橘の眼中にはない。何が起こっているのか分からないといった様相の二人の間を抜けて、受け身を取って即座に態勢を整えようとする司馬へ一直線に突っ込んだ。
筋がくっきりと浮き出た拳を今度は腕で防御した司馬が、衝撃によって息を吐き出した口元をにやりと歪ませる。
「っぶねえな……そんなに悲しかったか、よ!」
脛を狙って放たれた地面すれすれの蹴りを飛び退きながら避ける。その一瞬で、司馬は既に立ち上がって臨戦態勢に移っていた。
橘の直感が、先程自分が放った蹴りの感触に違和感を告げる。あまりにも抵抗が少なかった。咄嗟に身を引いた証拠だ。
虚を突かれた表情はブラフか。司馬は橘が何かしら仕掛けてくることを予期していたらしい。
花咲がかき集めた事前調査の情報とぴったり合う司馬の動き。流石、生徒会面子が情報屋と呼び一目置くだけある。
不敵な笑みを崩さない司馬に対し、橘は無表情を貫く。
「藤原の視界に今後一切映り込むな。次映り込めば──殺す」
静かだが、その響きだけで身を刻めるような声色。並大抵の人間なら、本能的な恐怖に塗り潰されて声すら発せなくなるほどの圧。
しかし、司馬は右眉だけを器用に数ミリ上げただけで、口で半円を描いた。
「いいぜ。あいつで遊んで殺した後は、映り込むこともできなくなるしな」
予備動作もなく、急に動き出した司馬が今度は橘へと向かってくる。殺気の揺れを感じなければまともに食らっていたであろう蹴りを、鼻先すれすれのところで避けて後ろへ飛び退いた。
「チッ、デケェ図体してるくせにちょこまか動きやがって」
苛立ちを含む声と共に、休む暇もなく次の攻撃が橘に迫ってくる。空気を切り裂くようにして接近する足を腕で受け止めれば、骨に響く振動に橘は思わず歯を食い縛った。
見た目からは想像できないほどの重さ。みしり、と骨が軋む音が聞こえてくるのではないかとも思わせる。受け止め続けるのは賢明ではないと判断し、身体を後ろへ逃がせば、司馬の足が再び橘の目の先を一瞬で横切った。その風圧で眼球が痛みを吐き出す。滲み出す視界に司馬を保ったまま、攻撃を終えた一瞬の無防備な司馬の懐へと右ストレートを叩き込んだ。
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