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◆  どさ、と重たいものが床へ落ちる音が背後で二度続く。そちらに意識を向ける余裕があるほどには、戸田は任せられた相手の実力を圧倒していた。 「……漣! ──……い、大丈夫……」  先ほどまでより激しくなった肉同士が打ち付け合う鈍い音に紛れて、いつの間にか合流したらしい鈴木の焦った呼び掛けが戸田の耳に入ってくる。不穏な状況を察して振り返ろうとすると、右足に引っ張られる感覚を覚えた。 「よそ見、してんじゃ、ねぇ……!」  一瞬よろけそうになるが、ぐっと足に力を入れて体勢を維持する。視線を落とすと、腹を左腕で押さえたまま床に転がり、苦しそうに肩で息をする目の前の敵が、唯一自由に動く右手で戸田の足を掴んでいた。いつ意識を手放してもおかしくない程痛め付けられた体に鞭を打ち、自分から離れかけた戸田の意識を何とかもう一度引き戻そうとしたらしい。花咲から事前に聞いていた性格通り、極端な負けず嫌いぶりだ。 「お前が弱すぎるのが悪いんだろ、相手にもなんねえよ」  普段の戸田からはおおよそ想像できないほど冷えきった声色で告げると同時に、掴まれている足を邪魔な腕ごと後ろへ振り上げると、そのまま反動をつけながら腕についてきた顔面へと右足で蹴りを叩き込む。 「ッぐぅ!」  くぐもった声と共に足から圧迫感が消え、代わりに少し離れたところから聞こえてくる息の音がより荒く、そして早くなる。  こんなもんかよ。  戸田の蹴りによって離された距離を詰めるために、ぼろぼろの体で地面を這いずる敵に戸田は声を出さずに呟く。  矢野(やの)黎明(れいめい)。  戸田が相手を任せられた生徒の名だ。厳かな名前とは裏腹な派手な見た目で、言動からも賢さなど微塵も感じられない。普段ならこんな輩は適当に相手をして軽く捻り潰すだけなのだが、今回は特別な事情がある。  勿論、花咲から課せられた任務──相手を本気で怒らせることも理由のひとつだ。だが、それ以上に戸田を駆り立てていたのは、作戦会議中に花咲に見せてもらった防犯カメラの映像に映っていた光景。  薄暗い体育館の中で、水野が、そして藤原が『全知全能』のメンバーたちに痛め付けられていた。体の自由を奪い、一人に対して大勢で一方的にリンチを行うあの光景が、今も鮮明に思い出せるほどに戸田の網膜に焼き付いている。  

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