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成長なんて、出来てなかった
近所でお裾分けしてもらった夏蜜柑を土産に、官舎の駐車場で待ち合わせをした。土のままの剥き出しで特に区画分けもされていないから、舎監に頼んで開放してもらっているらしい。殆どの者が飲みたいだろうから、帰りは代行を使うとしても駐車料金の掛からないところをと気を回したようだ。
山浦は、そういう意味での気配りは出来る人物なのである。
料亭の二階の大広間で、男女入り乱れてあちこちにグループになり会話に花が咲いている。そんな中、官舎で隣の部屋にいた女性二人が孝也と片山を見つけて寄って来て、久し振りから始まる近況報告で盛り上がった。
一応開会宣言のようなものはあったものの、席について会席を食べ終えてしまえば、後は皆ビール瓶片手に酌をして回り始める者、それを受けて注ぎ返す者、または固定の友人とずっと話し込む者と様々で。
最初から気付いていたものの、やはりちらりと視界の端に入れるだけで近寄れない。健吾は山浦たちが居る辺りで壁に凭れて胡坐を組み、黙々と飲んでいた。
片山も気付いているから、色々な人が寄って来て話し掛けても、自分からは孝也の傍を離れなかった。
くいくいと孝也の袖を引き、隣室だった女性がそっと声を顰めた。とても愛くるしい容姿をしているが、男性とは一線を引いている感じで集まりにも出ない。彼氏が居るのではと噂されているが、ただ単に怖がられているのだということを二人は知っている。
孝也と片山には随分と慣れて平気なようだったが、それは色のある目で見ていないからなのかもしれない。特に中田のようなタイプからは逃げ回って隠れてしまうのだ。
「あのね、内林くんってずっとこういう集まりには出てなかったって聞いてるんだよ。なんか、凄く奥さんがヤキモチ焼きみたいで、仕事以外何処でもくっ付いて回るとかで男友達にも嫌がられちゃったみたいで」
そうそう、ともう一人の女性も頷いている。
へえ、と相槌を打ちながら、片山も身を寄せて四人で内緒話のような態勢になる。
女にだけ嫉妬するなら解るけれど、それでもいちいち全員に反応していたら、本当に友達を失くすだろうと思う。けれど、男だけだと言ってもこの目で確かめると飲み会にも付いて来られては、親しい間柄でもうんざりするだろう。
では今日はどうしたというのだろう。子供に付ききりで、もう夫への関心も薄まったのかと首を傾げていると、それがさあと今まで頷くだけだった女性が唇を尖らせた。
「なんかあの妊娠騒ぎって狂言っぽいよ」
はあ? と片山と二人目を丸くしていると、滔々と説明してくれる。
そうやって何処にでも付いて行くし買い物も一緒だから必然的に目に付くわけで。だからそろそろお腹大きくなるんじゃないかと思った頃にもずっとぺたんこで、もしかして流産だったとかそういう不幸な場合もあるから、皆陰では囁いていても本人には訊き難かったのだという。
そして、ここでまた浅尾の出番だ。気になるけれど健吾の方には訊けないから、浅尾経由で本人に確認してもらったらしい。
普通ならば例えそれが結婚を早くさせるための方便だったとしても、バレる前に早い段階で訂正して謝りを入れるだろう。けれど、そのまま夫である健吾にはいかにも順調に育っているように言い、健吾の両親も最初は早すぎる結婚に眉を顰めていたが途中からは楽しみにしていたらしい。
だが一向にその気配のないのを、経産婦の勘で察したらしく、母子手帳などを見せてと仄めかすも誤魔化され続けてついに問い詰められて白状したらしい。そんな嘘吐きな嫁とは付き合っていけないといたくご立腹で、両親お墨付きでの離婚とあいなり、今はまた官舎で一人暮らしをしているのだという。
本人たちはかなり揉めて大騒動だったらしいが、何しろ配達員と窓口だから情報の遣り取りもなく、官舎で見掛ける様になって初めて真実だったのだと女性陣は納得したらしい。
大変だったんだなと思いつつ、やはり孝也の胸は痛んだ。
そう、と呟いて半分目を伏せた孝也を片山は心配そうに見て「そろそろ代行呼んで帰るか」と背中に手の平を当てた。
宴もたけなわ、まだ誰も席を立たないような宵の口である。流石にそれは失礼だろうと躊躇していると、頭上から声が降って来た。
「久し振り、吉木、片さん」
山浦である。
背後に慌てて顔半分隠す女性陣に少し鼻白む様子を見せたが、山浦が用があるのは孝也のようだった。
「もういいんじゃないの。うっちーと話してやれよ」
こういうのを偽善者というのだ。片山は牙があったならそれを見せて唸っただろうと思った。上目遣いにじろりと睨むが、そんなものを気にする山浦ではない。
「お前は自分を殺そうとした相手を、たかが一年半で許せると思ってんのか」
搾り出すような声にひょいと肩を竦めて「大袈裟だなあ」なんて笑っている。
「一日休んだだけですぐに仕事に出たんだろ? 入院したとかならともかく、そんなんで殺されかかったなんて言わないだろ」
「お前は……あの時の吉木を見てないから、そんなこと言えるんだ」
すっかり俯いてしまった孝也を守るように、片山は立ち上がった。足元では隣室の女性陣が、ますます怯えながらも片山に同意して拳を握り頷いている。
てんでに話して盛り上がっていた同期生たちもぱたりと口を噤み、立っている二人に注目した。当事者である筈の健吾は冷めた目でただ孝也を見つめ、孝也はその視線を感じて精一杯の勇気を振り絞り顔を上げた。
だが、まっすぐに健吾を見るとやはり体が竦んだ。真っ青になった孝也に気付き、片山は山浦はそのままにしゃがんで「やっぱり帰ろう」と促した。
はあ? と面白く無さそうに顔を歪める山浦に、女性二人も「私たちも片山くんの意見に賛成だから帰る」と立ち上がりながら、手荷物を抱えた。三人で孝也を視線から隠すようにして静かに大部屋を出たのだった。
電話で代行を呼んでから四人で官舎まで歩き、そこで別れてから片山と孝也は少し離れた片山のアパートに車ごと帰ってきた。
別れ際に夏蜜柑を殆ど渡して水上さんにも渡しておいて欲しいと頼むと、二人は二つ返事で引き受けてくれた。残りの二つだけを自分の手荷物と一緒に片山の部屋に入る。
部屋の隅にボストンバッグを置いてラグに腰を下ろした孝也に、片山は飲み直そうと言って冷蔵庫から果実酒の瓶を取り出してきた。
完熟した夏蜜柑が微かに匂いを放ち、それを堪能しながら酒を飲み、他愛ない話をしていると風呂が沸いた。以前のように孝也が先に湯を貰い、前ボタンのパジャマ姿で濡れ髪を拭いているところに「ちゃんと乾かせよ」とドライヤーを押し付けてから今度は片山が風呂場に向かう。
どうしてか視線を合わせず困ったように微笑んでいるのに気付いて孝也はじっとその背を目で追ったが、片山は振り向かなかった。
俺、何か悪いことしたかな。
手に持った機械を弄くりながらしばらくぼうっとして、悪いことというか、迷惑ならずっとかけ通しだなと自嘲する。
最初からそうなのだ。
自分は、片山の益になるようなことはまだ何も返せていない。晩御飯を一緒に作っていた頃も、送迎までしてもらっていたのに食費は折半だった。なんだかずっと頼りっぱなしでただそれに甘えてきた。心地良くて、楽で。
離れている間に、田舎の空気に癒されたようなつもりになっていた。だが、こちらに戻ってきて解ったのだ。
自分は、あの頃と何も変わっていやしなかった。進歩も成長もしていなかったのだ。落ち着いて座っているだけの健吾さえ怖くて、喋るどころかまともに見る事すら出来なかった。
もしも、孝也さえちゃんと対応できていれば、女性二人もだが、片山はまだあそこで他の同期の連中と楽しく過ごせていたのだ。
元々、片山は直接関係なんてなくて、たまたま一緒に勉強する約束をした日に孝也が怪我をして助けを求めて。責任感が強いから義務のように毎日ついていてくれただけで。
「吉木? 大丈夫か」
結局髪を乾かすこともなく座り込んで呆然としてしまっていた孝也に、片山は心配そうにしゃがんで顔を覗き込んだ。最初に泊まった時のように。
「片さん、ごめん。俺……ずっと迷惑ばっかりかけて。片さん、もう今日で最後でいいから。俺のことはもう放っておいて、あの日より前の生活に戻って、お願い」
「吉木?」
ドライヤーを両手で握り締めていた孝也が、潤んだ瞳で片山を見上げた。落ちないのが不思議なくらいにぎりぎりまで涙を湛えた大きな黒い瞳が、嗚咽を堪えて唇を歪めて真っ直ぐに片山を射抜いている。
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