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夕凪ロマンティック 2
近況を語り合い、あの頃は誰も持っていなかった携帯電話の番号とアドレスを交換して別れた。
慎哉は人好きのする性格で、雰囲気を読み冗談も交えて話す。口が軽いというのとはちょっと違った気遣いの出来る気さくな青年のようで、これは良い人を見つけたなと孝也も賢も心底安堵した。
面差しが似ていても、二人の知っている人物とは明らかに違う。まあ似ているといっても、ぱっと見て一瞬感じた程度で、その人物と比べられたと知れば雪子が怒りそうだ。
「あとは食品?」
晩御飯何にしようかなあと鼻歌を歌っている孝也の手を引き、見たいものがあるんだけどと誘う。
訪れたのは、宝石店で。通路に向かってオープンにはなっているものの、孝也が興味を持つことがない種類の店だった。
「え、と。賢……?」
まるで怖がっているかのようにびくびくと店内と賢の顔を見比べているから、やっぱり唐突過ぎたかと、一旦通路の中央に戻って二人は木製のベンチに腰を下ろした。
「あのな、まだもう少しあるけどさ……出会ってから十年経つだろ。まあ、付き合い始めてからは、もっと短いけど」
それでも、恋人同士としてはかなり長い年月を過ごしてきたと思う。
それは、学生たちの毎日いちゃいちゃするような、べったりしたものではないけれど。それでも、まだ学生気分が抜けないような幼い顔立ちの頃から、身長も顔かたちも縦に少し伸びて骨格が変わる、そんな変化を、会う度に少し変わっている外見も内面も含めてまるごとずっと慈しみ傍に居た。
人生でもう二度と経験したくないような修羅場も、二人で痛みを分かち合い乗り越えてきたのだ。だから。
「今更だけど……なんかこう、記念というか、形になるようなもの欲しくて。で、ベタだけどさ、指輪どうかなって」
通路の方を向いて、組んだ足の膝を囲うように両手の指を絡めて、珍しく賢が言いよどんでいる。
「う……嬉しい」
そんな賢の横顔を見ながら、孝也はじりじりと体を寄せて、そっと腿の上に手を載せた。
これくらいの接触ならば、全然変じゃないよな、と一応気遣ってはいる。
うん、と一つ大きく頷いて「嬉しいよ」ともう一度はっきりと言い直した。
「なんかさ、そういうの考えてくれてるっていうのが一番嬉しい。それだけでもう胸いっぱいって感じでさ。けど俺、今までぜんっぜんアクセサリーとかしたことないし。だからなんかぴんとこないっていうか……なんで。取り敢えず、ええと、賢の気持ちは解った。だから、その形については二人でじっくり考えよう?」
触れている手はそのままに、反対の手でぽりぽりと頬を掻きながらも、孝也は懸命に言葉を探したようだった。
「だな」
首肯して、そっと手を重ねてから賢は立ち上がった。
何を焦ってるんだろうな、とちょっぴり自己嫌悪しながら。
「それにしてもイケメンだったねえ」
二人で一緒に調理をして、味を馴染ませるために鍋の中に肉じゃがを放置したまま、小さなスプーンで茶碗蒸しを掬いながらぽわんと孝也は宙を見つめて零した。
「あー……慎哉さんか」
どきりとしながら問うと、孝也はこくんと顎を落とした。
「かっこ良かったな」
そう肯定しながらも、口の端がちょっと引き攣ってしまうのは許して欲しいと思う。
たとえ人の夫で浮気なんかしそうにないノンケの男だって、目の前で手放しで褒められると心が痛い。だけどふっと孝也の表情が翳るのを見て、あれ、と茶碗を置いた。
俯いてお腹に手を当てているから「具合悪い?」と訊いてみる。
「違う、けど」
けど、と言った後、上目遣いの眼が潤んでいるから、賢は驚いて孝也の傍ににじり寄った。何かまた後ろ向きなことを考えているに違いない。
「どうしたんだよ」
「だって、俺たちもうすぐに三十になっちゃうじゃん」
「うん、なるな」
「あんな風に家族にもなれないし、家族も増やせないしっ……俺、賢になにもあげられない、からっ」
孝也の手が、自分のシャツの裾をぎゅうっと握り締めた。外勤の時よりは薄いものの、それでも外回りや畑仕事の手伝いで綺麗に焼けている肌の上を透明な雫が滑っていく。
「そんなの解ってて傍に居るんだよ。俺と二人だけでいいじゃん。駄目? 子供欲しくなった?」
同性間の婚姻制度がない以上、単身では何処にいつ転勤になるかも判らない。だから、家を建てて定住することも出来ない。近くに住んでいるならまだしも、勤め先が離れているから一緒にも暮らせない。
そんなあやふやな、頼りない関係が。
いつ途切れても、どうにも出来ない、ただお互いの気持ちひとつの関係が、心細くて。
ああ、と賢も自分の気持ちに気付いて、孝也の手に重ねた。
だから、指輪でもなんて、急に思い立ったのか──。
何か一つでも、二人の関係に形となって残るものが欲しくて。
「賢の子供なら、きっと賢くて心が強くて、優しい子になるよ。遺伝子勿体無いよ」
はらはらと零しながら切なく握り返してくる手は、賢との決別など望んではいない。
それが解っているから、それでもそんなことを言わせてしまうこの関係が疎ましいと思う。
「女のとこへ行けって?」
解っているのに、問い返してしまう。案の定、孝也の目から流れ落ちる水の勢いが増した。
「やだ! 俺の傍にずっといるって言った」
「言ったよ。なのにどうしてそんなこと言うんだよ」
話をするときは、目を見て。そんなポリシーがあるのを知っているから、こんな時でも孝也が縋り付いて来ないのも解っている。
「遺伝子が勿体無いっていうのはな、今日のあの外で堂々といちゃついてた警備員みたいなのを言うんだ」
ふっ、と笑みを載せて、半分冗談、半分本気。
爽やかで、背が高くて、歩いている間もずっと店員や客の視線を集めていた。それなのに、選んだのはあの華奢でちょっと冴えない感じの清掃スタッフ。
誰がどう見ても、遺伝子情報を後世に残すことが望まれる容姿で。自分たちの世界作りすぎだろうもっと周りのことも気遣えと小言を言いたいような気もするけれど、実際とても羨ましいのも確かだった。
孝也の方も、脳裏に思い描いたのか、そうだななんて呟いて、それから首を傾げた頃には涙が止まっていた。
「あの人たちだって、望んで今の暮らしをしている。他の何を犠牲にしても、傍に居たいから居るんだろう」
落ち着いた様子を確かめながら、それでも念押しのように言い含めると、孝也は素直に頷いた。
「だな……うん、解ってる、つもりなんだけどさ。それでもやっぱり、時々不安に押しつぶされそうになる」
「そんなの、俺もだよ」
賢の言葉に、孝也ははっと口を開いて、暫く考えてから「そっか」と、ようやく賢の胸に顔を埋めた。
きっと死ぬまでこの不安からは逃れられないのだろうと思う。それでも、孝也を選んだし、孝也も賢の手を取った。
「不安になったら、ちゃんと言葉にしてこうやって伝えよう? 一人で抱え込まないで、寄り添って生きていくって決めただろう。それがパートナーだろ」
胸の中に馴染む感触が愛しくて、つい腕に力が篭る。背中から裾の内側に手の平を入れると、孝也の肩が震えた。腰から上へと、脊髄の窪みを一つずつ確認するかのように辿って行くと、くいと顎を上げて吐く息の温度が上がっている。
「も、真面目に話してるのにっ」
「真面目に話してるさ。ちょっと背中触れてるだけだし」
孝也は一旦スイッチが入ると全身性感帯になる。それを解っていてそ知らぬ顔で言うと、先程までとは理由の違う涙を溜めた目が、うるりと賢を見上げた。悔しそうに唇を噛んでいる。可愛い。
今日はずっと我慢してたんだから、そろそろ解禁だろうと、賢は顔を伏せて孝也に被さった。
「ん……茶碗蒸し、冷めちゃうよ」
重ねた隙間からそんなことを指摘されても、隙間から侵入して貪ろうとしているものを阻止できない。そのまま手の平を下に滑らせて引き締まった丘を撫でると、全身を震わせて応え始める。もうここからは戻れない。それは孝也も同じことだった。
「なあ、慎哉さんを最初に見た瞬間に思ったこと……教えて?」
もうすっかり弛緩して何も身に着けていない孝也の体をベッドの上で組み敷きながら、賢は問うた。
軽く歯を立てながら胸の突起を舐めて上目遣いの賢に、信じられないと訴えながら孝也の視線が揺らいだ。
「黙ってても良かったけど、そろそろちゃんと聞きたい。俺は死ぬまであいつの幻影と戦わなきゃ駄目なのかな」
「戦う……?」
指先で弾くようにされていた反対の突起を抓られて、孝也の体がビクビクと震えて、その拍子に、緩く立ち上がっている中心から涙が零れた。
「戦ってるよ、いつも」
常と同じ、優しい口調で。でも、伸びてきた指が孝也の口内を掻き回し舌を指先で挟まれて、何も答える事が出来なくなる。
「あふ、んぅ」
そのまま中心を擦られて、涙を零し続ける小さな口にも指先をこじ入れようとするかのように強く刺激され、そんな少し強引な遣り方でも体は快感を伝えてくるから始末に悪い。孝也の腰は跳ねて、強請るように膝が開く。
言葉にはならないから、動かしづらい舌と唇を使って賢の指先を愛撫して、腰を押し付けるようにすると賢が体をずらして先端を口に含んだ。
「はぁっ」
焦らされ続けてからの直接的な刺激に、堪らずに嬌声が上がる。口と手と両方から刺激されながら、それでも指は口内を押さえ込んでいるから、溜まった唾液を嚥下するのに精一杯で満足に息も出来ない。
上りつめるのは早かった。だが、絶頂を迎えようとする瞬間にぴたりと動きが止まり、根元から袋にかけて押さえられて、苦しくて涙が零れた。
ようやく口を解放した指が、今度は下の口へと突きこまれ、腰の下にぐうっと膝をいれられて、肩を支点としたなんとも危うく恥ずかしい体勢で、孝也は体の最奥を暴かれた。
ぴちゃぴちゃと音を立てて舐められ、両手の指を使って開かれていく。
いくら前もって風呂で洗っているとはいえ、何度されても慣れる事のない羞恥に身を焼かれ、体中が火照った。
賢がここまでするのは珍しい。いつも孝也を甘やかし、沢山イかせてその甘い声を堪能していた。イく寸前でわざと止めるなんて意地悪な遣り方は、まるで──。
ふっと脳裏を過ぎった背の高い男を思い出し、汗も引くような気分になった。
比べたら、思い出したら、駄目なのに……。
ああ、そうかと手の甲で涙を拭った。
いつも戦っている、と言った先刻の賢の言葉は。
あいつと、その面影と戦っているという意味で。
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