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予感 10
「えっどういうことなの。瑠衣とお別れだなんてイヤだ!」
雪也さまの大きな黒い瞳から、涙がポロポロと溢れた。
その瞬間、僕の胸もキュッと苦しくなる。
雪也さまの泣き顔には、めっぽう弱いから。
「雪也、泣くな。おいでっ」
すぐに柊一さまが雪也さまを胸に抱き、あやすように髪を撫でてくれた。いつだって雪也さまの傍には、優しい兄がついている。
その光景が少し羨ましい。
僕はもう長いことそんな風に人に甘えていないから。
「雪也……いい子だね。お前の気持ちもよく分かるよ。僕と同じように瑠衣を慕っていたからね」
「じゃあどうしてなの? どうして行かせちゃうの? 瑠衣にはずっと傍にいて欲しいのに」
「分かっておくれ。雪也には兄さまがいるだろう? お前の傍にはずっと僕がいるから、瑠衣は行かせてあげよう」
「兄さま……瑠衣はそれで幸せになれる?」
「あぁとても。そのために僕たちは送り出すんだよ」
「瑠衣の幸せのため? うっ……ぐすっ……」
本当に清らかなご兄弟だ。
顔も似ているが性格もよく似ている。
僕が長年大切に慈しんで見守ってきた宝物だ。
でも……この先こんなに清らかで大丈夫かと一抹の不安を感じてしまう。
僕が近くにいなくて、世間というものに汚されずに生きていけるのか、やはり心配だ。
「瑠衣、僕たちは大丈夫だから、安心して欲しい」
「申し訳ありません……とても心残りです」
「瑠衣、そんな顔しないでくれ。大丈夫だよ。僕には心強い両親もいるし。そうだ雪也の手術が成功したらお前を訪ねに行くよ。次はイギリスで会おう! 」
「……お待ちしております」
「兄さま、僕も外国に行ってみたいです」
「そうだね。手術が成功したらどこでも行けるようになるよ。それまで頑張ろうな」
「分かりました。苦いお薬も、体育をお休みするのも我慢します」
「うん、いい子だね」
健気な雪也さま。早く健康な躰を取り戻して欲しい。柊一さまにはもっと自由に生きて欲しい。
もう……涙を堪えるのに必死だった。
だがこれは……穢れなき幼い兄弟に見せる涙ではない。
僕は行く──
そうと決めたのなら、進むしかない。
この由緒正しき冬郷家の存続のためにも、僕を10年以上待ち続けてくれたアーサーのためにも……
柊一さまと雪也さまという兄弟をここに残して。
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