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愛しいということ 23

「兄さま。兄さま……」 「あっまた寝てしまった? 」 「えぇぐっすりでしたよ」 「ごめん。でも、なんだか今日はいつもよりよく眠れた気がするよ」  本当にそう思った。  ふわふわと心地良く、懐かしい匂いに包まれ……久しぶりにぐっすりと眠れた。 「よかったですね。それは、きっとこれのおかげですよ」  雪也が嬉しそうに僕の胸元までかけられたブランケットを指さした。 「え……これ、いつの間に?」   真新しく、美しい色の毛布……これのお陰だったのか。 「雪也、これ、誰がかけてくれたの?」 「えっと……かけたのは僕ですが、兄さまにどうぞと渡して下さったのは先生です」 「……また迷惑をかけてしまったな」  雪也の主治医の先生にまで迷惑をかけてしまうなんて、本当に不甲斐ないし情けない。  その一方でせっかくの好意に曇った表情を浮かべてしまい自己嫌悪だ。以前の僕だったら、もっと素直に感謝できたのに、いつの間に、僕はここまで卑屈になってしまったのか。  正直……辛いんだ。あの会社にいると、どんどん自分がみすぼらしくなってしまう。仕事の失敗を引き金に同僚や上司からの言葉の嫌がらせが続いている。  僕は世間知らずだった。  両親が亡くなるまで、人が人を大切に想い合う綺麗な世界しか知らなかったのだ。  僕がずっと大切に扱ってきた言葉が、暴力となるなんて知らなかった。  何度も何度も僕は言葉の暴力を浴び続けている。  卑猥な言葉で蔑まれたり、人格否定もされた。  その度に誰にも打ち明けられず必死に耐えてきた。  折れそうな心にはもう沢山のヒビが入って、きっと今度大きな打撃を受けたらポキッと折れてしまうだろう。 「あの……これ、兄さまによく似合っていますね。ほら、兄さまが小さな時に着ていらしたガウンの色に似ていませんか。小さな僕には、このガウンを着た兄さまは絵本に出てくる王子さまのように見えて憧れでした」 「……王子さまって、はぁ……雪也はいつまでもそんな夢ばかり見て」  僕だってそういう世界に浸っていたかった。でも現実はそうもいかない。そのことは重々承知だ。 「兄さま、またそんな難しい顔をされて。兄さまには綺麗なものを見て欲しいです。せめて身近な……ほら、このブランケットの色とか」 「そうだね」  ブランケットは、日本の伝統色、勿忘草《わすれなぐさ》色だった。  春から夏に咲き誇る中庭の白薔薇に隠れるようにひっそりと咲いていた勿忘草……あの可憐な明るい青色を思い出す。  そうだ、両親が愛した美しい庭園《ガーデン》の手入れを少ししてみようか。  それにしても小さい頃愛用していたガウンか、懐かしいな。  まだ部屋のどこかにあるだろうか。  僕が僕であった頃を思い出すものが。  雪也の言うとおりだ。  優しい水色に、ささくれだった心が癒された。  だから久しぶりに人間らしい気持ちを取り戻せたようだった。 「雪也、ありがとう。そんな風に言ってくれて。今日こそは先生にちゃんとお会いしないとね。今までのお礼も言いたいし」 「本当ですか! やっと先生に会ってくださるのですか」 「うん? でもどうして雪也がそんなに喜ぶ?」 「だって……あっいえ。何でもないです!」 「雪也、先生に会えるかな。案内してくれる?」 「もちろんです!」  少しだけ前向きな前向きな気持ちを抱けたことに、僕自身が一番ほっとしていた。  まだ大丈夫、まだ僕は大丈夫だ。  まだ耐えられる。  絶対に落ちぶれるものか!

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