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誰か僕を 8

 兄さまには、知らない人を家にあげては駄目だとキツク言われているけれども、海里先生は別だ。 「びっくりしました。よく僕の家が分かりましたね」 「君が最初に発作を起こした時に来たからね。懐かしいよ」 「そうでしたね。あの時は真夜中で、瑠衣が海里先生を呼んでくれたのですよね」 「そうだよ。もうあれから10年か。君もいろいろあったな」 「……はい、あの……まずはお紅茶をどうぞ」  僕は心を込めて白江さんに習った通りに、先生のためのお紅茶を入れた。 「ありがとう。ん? これは俺があげた紅茶か。とても美味しいよ」 「はいそうです。兄さまもとても気に入っているので、本当は兄さま専用なんですけど……」 「それは悪かったね」 「いえ、元々は先生が下さったものですから」 「なくなったらまた英国から取り寄せてあげよう」 「本当ですか。兄さまも喜びます。ありがとうございます」  海里先生……いつもの白衣姿もとても素敵だけど、凛々しいスーツ姿はもっと素敵だ。先生ってもしかしたら少し外国の血が混ざっているのかな。彫りが深くて、クラシカルな応接間に座っていると本当にヨーロッパの貴公子みたいだ。  あぁもう……兄さまも早く帰ってきたらいいのに。  こんなに素敵な先生の姿、しっかり見て欲しい! 「ところで診察予約日に来なかったから心配したよ。一体どうした? 」 「あ……本当にすみません……その……」  先生は僕の事情を、瞬時に察したようだった。 「雪也くん……実は今日は往診に来たんだ。いつもの薬を持ってきたよ。いいかい? ちゃんと薬は飲み続けないと駄目だよ」  机の上に置かれた処方薬に戸惑ってしまった。 「……ごめんなさい。僕は……海里先生に診てもらえません。だって……このお薬代をお支払いするお金がうちにはないのに……」 「いいんだ。俺は雪也くんの主治医だ。それには変わりない。君の境遇が変化したことは理解しているから、せめて個人的に診察だけは続けさせてくれ」 「海里先生……」  先生の優しさが嬉しくて、ありがたくて──  目からぽろぽろと涙が零れてしまった。 「大丈夫だ。君のご両親からも頼まれていたし……それに俺は、君のお兄さんが心配で堪らないんだよ。俺で役立つことがあったら、してあげたい。ところでお兄さんは……今日も帰りが遅いのか」  いつの間にか海里先生の眼は部屋を彷徨い、兄さまの姿を探していた。  とても温かく熱のこもった視線だった。 「すみません。兄さまは締め切りがあるお仕事なので、いつも日付が変わる頃にならないと戻らないのです」 「そうか……雪也くんも寂しいな」 「でも兄さまが僕のために頑張って下さるので、僕も頑張れます」 「そうか……これは俺の緊急連絡先だ。もしも雪也くんに急な発作が起きたりしたら、すぐに連絡すること。分かったね」 「はい。ありがとうございます」  先生は電話番号の書かれたカードを僕に下さった。  それから少し照れくさそうに、言葉を続けた。 「それから、君のお兄さんに何かあったら、その時は俺にすぐに知らせてくれ」  兄さまのことを心配して下さる方がいる。  僕だけじゃない。  そのことが嬉しくて、やっぱりまた少し泣いてしまった。    海里先生は窓の外をじっと見つめていた。 「庭の白薔薇が綺麗だね。今度、少し手入れをしても?」 「あっはい」 「……そろそろ帰るよ。今日はもう遅いし、雪也くんもそろそろ休まないと。顔色も良くないよ。ほら薬をちゃんと飲んで」 「あ……はい。すみません。本当を言うと少し眠たいです」 「おやすみ」  兄さまは残念なことに、帰宅しなかった。  先生は名残惜しそうに帰り支度を始めた。 「また来るよ」 「はい! 待っています。あの……今度は兄さまにも会ってください」 「……ありがとう」

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