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誰か僕を 9

 本気でどうにかしないと駄目だ。  このままでは生活がますますひっ迫して、雪也の手術どころか、病院代、薬代もままならない状況に陥るのが、時間の問題だ。  本当に僕は不甲斐ない。  何か大きくこの状況を打破出来る術はないのか。  そう思うのに、先日、夜の街であんな目にあったせいで、なかなか踏み出せないでいた。 「ふぅ……やっと家だ」  残業に残業を重ね、深夜になってようやく帰宅した。  玄関の街灯を浴び二階を見上げるが、カーテンはもう閉まっており、雪也の姿は窓になかった。  流石にもう零時を回っている。もう寝てしまったのは仕方がない。でも僕にとって唯一の希望の光が雪也だ。せめて寝顔を見に行こう。雪也の顔を見れば、癒されるから。   「……ただいま」  出迎えのないガランとただ広いだけの玄関に、寂しさが募る。  それでも前を見て歩かないといけない。  明日という日は確実にやってくるから。  居間に入ると、テーブルに雪也からの手紙が置いてあった。 『兄さまお帰りなさい。今日は先に休みます。ごめんなさい。おやすみなさい』  そんなこと……いちいち侘びなくてもいいのに。  躰の弱いお前には、せめて良質な睡眠だけでも取って欲しい。    日中買っておいたパンを置こうとキッチンに入ると、洗い終わった紅茶のティーカップがふたつ並んでいた。 「ん? 日中……誰か来たのか」  雪也には知らない人を勝手に家にあげてはいけないと言ってあるのに。今すぐ問いただした方がいいのかと迷ったが、部屋に漂う微かな残り香に急激に懐かしさが込み上げてきた。  これは遠い昔に嗅いだ懐かしく安心する……匂いだ。  僕はとても疲れていた。  だからその余韻を楽しむように、そのままソファで眠りに落ちてしまった。  その日は久しぶりにいい夢を見た。  書斎には父の気配。  白薔薇の咲き乱れる美しい中庭には、母と雪也の笑い声が聞こえている。  僕は瑠衣と書庫に立っていた。 「瑠衣……あの……やっぱりあの本を読みたいと思って」 「くすっ、そう仰ると思っていましたよ」  瑠衣は端正な柔和な顔を綻ばせて、脚立に上って、かつて僕が隠してくれと頼んだあの洋書を取ってくれた。 「はい、これでしたよね」 「そう、これだ」 「柊一さま……」 「何?」 「夢を抱くのは悪いことではありません……だから四六時中……そんなにご自身を律しなくてもいいのですよ」 「でも僕は……」 「お父様と二つの誓いをされたことは知っています。どちらもとても大切なことですが、その前に忘れてはいけないのは、自分自身の心の健康ですよ」 「瑠衣……」  瑠衣の眼差しが深くて優しくて、涙が滲んで来た。 「だがお前だって……」 「ふっ……確かに人のことは言えませんね」 「そうだよ。お前だって長い間……」 「柊一さまと私は……似ているので、心配です。だから壊れてしまう前に……どうしても伝えたくて」 **** 「兄さま、おはようございます。こんな所で転寝をしては駄目ですよ。お風邪ひいてしまいますよ! 」  雪也にゆさゆさと揺さぶられて、目が覚めた。 「あっごめん。おはよう」    目尻に涙が浮かんでいたのを感じたので、そっと袖口で拭いた。  まだ夢の余韻をひきずっている。  本当に久しぶりに見たやわらかな夢だった。  瑠衣の言葉が身に沁みた。 「雪也……昨日……」 「ん? なんですか。あっ昨日のことですか」 「いや、何でもない。もういいよ。朝食にしよう」 「あっはい」  朝から昨日のことを問いただすのは、やめた。  雪也が今、僕の目の前にいて、笑ってくれる。  それだけで幸せな気分になれるから、何も聞かなくていい。

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