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誰か僕を 5

 繁華街からどこをどう歩いたのか記憶にない。あまりにショックな出来事に、まだ僕の心臓は早鐘を打っていた。    ようやく屋敷の門が見えたので、ホッとした。  僕が生まれ育った白薔薇に囲まれた洋館は、お父様やお母様との幸せな思い出が沢山詰まった大切な場所なんだ。  ここだけは、やっぱり……どうしても手放せない。  小さな通用門を潜り、玄関までのアプローチを闇に隠れるように歩いた。  雪也が二階の窓から、いつも通り僕の帰りを待っている。だから……玄関の街灯に照らされた時には、ちゃんと兄の顔に戻っていないと。  洋館の壁伝いをよろめきながら歩いた。とうとう戻ってきた安堵からなのか、眩暈がして壁にもたれてしまった。すると僕の髪を撫でるように優しく掠めるものを感じた。  ふと見上げると……そこには白薔薇が一輪だけ咲いていた。    見事なまでに大輪だ。 「え……何で……」  古い煉瓦造りの屋敷の外壁に、蔦と共に絡まっていた薔薇がいつの間にか咲いていた。庭師を解雇してしまったから、手入れの行き届かない樹なのに、白薔薇は負けずに咲いてくれていた。    何にも染まっていない真っ白な花びらが、僕の荒んだ心を癒してくれた。    薔薇が逆境に負けずに美しい花姿を見せてくれたことに、元気をもらえた。  両親が生きていた頃……屋敷の庭園《ガーデン》には見事な白薔薇のアーチがあった。そのアーチの下で若かりし母は父にプロポーズされたそうだ。  ふたりの秘めやかな約束はすぐに実を結び、僕と雪也がこの世に産まれたと、母がまるでおとぎ話を語るように、夢見がちな表情で話してくれたのを思い出す。  僕もいつか両親のように幸せになれるのだろうか。  薔薇のアーチの下で、生涯の愛を誓う相手に出会いたい。  このまま落ちぶれていくのは、嫌だ── 「兄さま、お帰りなさい!」 「雪也、ただいま」  僕の帰りを待ち侘びていた雪也の声が降って来た。二階の両開きの窓から身を乗り出して、僕に向かって純真な笑顔を浮かべてくれていた。 「乗り出したら、危ないよ」 「あっごめんなさい。つい……だって、兄さまのお帰りが嬉しくて」 「くすっ雪也はいつまでも甘えん坊だな」  食卓に着くと、僕が作っておいたポトフを雪也が温めてくれた。小さかった雪也が、こんなことが出来るようになるなんて。 「ありがとう」 「兄さま。今日、僕はとっても素敵なものを見つけたんです」 「何かな」 「これです」  雪也が嬉しそうに差し出してくれたのは、僕が幼い頃着ていたガウンだった。あの病院でお借りした勿忘草色の毛布とよく似た色だった。 「何故。これを? 」 「実はこれ……いつの間に僕が兄さまのお下がりをいただいていたのですね。今日クローゼットの中から出て来て、びっくりしました」 「そうなのか……懐かしいよ」  涙を堪えるのに必死だった。さっき僕が願った毛布を思い出して…… 「兄さま……今日はとてもお疲れみたいです。このガウンはもう兄さまには小さくて着ることは出来ないですが……ほら、こうやって肩当てとして使えますよ」  ふわっと肩にかけられた毛布のぬくもり。  病院で僕を気遣ってかけてもらった毛布のぬくもり。  弟の手。  優しいぬくもりが恋しくて──嬉しくて  僕は雪也をふわっと抱きしめた。 「わっ兄さまどうしたのですか」 「雪也はあたたかいな……本当にいい子だ」 「兄さまってば、もう僕は小さな子供じゃないのに」 「少しだけ……お前を抱っこすると疲れが取れるんだ」 「兄さま、いつも僕のためにありがとうございます」 「雪也は僕が守るから」 「兄さま……でも僕は……それじゃ。いつまでたっても兄さまの負担に……」 「僕の生き甲斐なんだ。だから守らせて……」  小さな体、同じ年頃の子供よりも成長が遅く、か細い躰。  ちゃんと大人にしてあげたい。  お父様との誓いもあるが、それが僕自身の願い、希望だから。         

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