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誰か僕を 19

 柊一の着ている薄い鼠色の三つ揃えスーツは、まさに彼のために誂えた物らしく、躰にぴったりとフィットしていた。上質でしなやかな生地が、宴会場のシャンデリアの光を受け止め、しっとりと輝いていた。  内から滲み出る気品を持つ君に、よく似合っているな。  誰かを探すような視線。  誰かから逃れるような視線。  とてもあやふやで、危なげな視線だ。  そんな庇護欲を誘うような目をしては駄目だ。  よからぬ輩に狙われてしまう。  それにしても君はやっぱり雪也くんに似ている。いや、雪也くんが柊一に似ているのだ。  黒い瞳はどこまでも澄んでいて……想像よりもずっとずっと清楚でひたむきな印象を受けた。  愛おしい人だと思った。  その瞳で俺のことを見て欲しいと願った。  それにしても、このパーティーに君を招いたのは誰だ?   何かの意図があるのか否か。  早く確認しないと!  俺はまだ入り口付近で、君は広い会場の一番奥にいる。  すると中年の男が、君に話しかけた。  一体、誰だ?  柊一と彼は少し会話をした後、更に会場の奥に向かって歩き出した。  相手の顔が後ろ姿でよく見えないので角度を変えて確認すると、ギョッとした。  柊一に馴れ馴れしく話しかけている男は、たまに出向する大学病院の教授だった。  ……あまり評判のよくない人だった。  どうして柊一に声をかける?   今すぐ引き離したくて一歩踏み出した所で、見知らぬ女性に腕を強引に掴まれた。 「あらぁ〜森宮先生じゃありませんこと! このパーティーでお会いできるなんて光栄ですわぁ」 「……」 「先生ってば、聞いています?」 「……えぇ」 「先生、白衣も素敵ですけど、スーツ姿はもっと見応えありますわねぇ」  香水の匂いをプンプンさせた女は、あの特別室を占領した女の子の母親だった。  相変わらず派手なメイクに重たそうな宝石をジャラジャラと……  真っ赤な唇で腰を揺らして……まさか俺を誘っているつもりか。  今すぐ振り払いたい所だが、病院に多額の寄付をしているから無下に扱うなという事務局長のお達しを思い出し、なんとか踏みとどまった。  だが今、俺はあんたの相手をしている場合ではない!  一刻も早く柊一の元に駆けつけないと、何かあってからでは遅いのだ。 「先生おひとりなんですかぁ。一緒にあちらで飲みましょうよ」  病気の娘を置いてよくこんなパーティーに顔を出せるな。  そう言いたい所だが、ぐっと我慢した。  彼女を通り越し、柊一を探すが姿が見えない。  一体どこに? 教授の姿も見えなくなっていた。  とんでもなく嫌な予感がして、俺は話の途中で彼女の手を振り解いた。 「ちょっと失礼――」 「あん! 先生ったら……つれないわぁ」  柊一がいた辺りにすぐに駆けつけたが、姿が見えない。  どこだ? どこへ行った?  あたりを見渡すと分厚いドレープのカーテンに目が留まった。その脇に置かれた小さなテーブルに、ワイングラスがぽつんと取り残されていた。    まるで血のように禍々しい深紅のワイン。  グラスの底から湧き上がる気泡に、違和感を覚えた。  まさかっ―  ウェイターがトレーにそのグラスを回収しようとしたので慌てて制し、グラスの中身を確認した。  匂いと見た目で医師の俺なら瞬時に判断できる。  この赤ワインには睡眠導入剤が仕込まれている!  消えた柊一と教授。  睡眠導入剤入りの赤ワイン。  俺は証拠品としてグラスを取り置くようウェイターに申しつけ、会場を飛び出し、すぐに兄に電話した。    柊一が危ない。  良からぬ事に巻き込まれてしまったに違いない。  このパーティーの隠れた仕組みに!  今すぐ助けないと大変なことになる。  取り返しがつかないことになる! 「兄貴っ、すぐに調べてくれ。客が予約した部屋番号を! 名前は……っ」

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