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淡い恋が生まれる 2
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雪也くんが病室のベッドで眠りについた後、柊一を俺の診察室に案内した。
以前のように特別室に入院なら肉親の泊まり込みは問題ないが、今は六人部屋だ。残念ながら夜間の家族の付き添いは禁止されている。
「俺の診察室においで」
「でも……ご迷惑では? 」
「ぜひ、君に来て欲しいんだ」
「……はい」
雪也くんが入院して家に戻れない今、君をあの廃墟のような屋敷にひとりで帰したくなかった。
もうひとりで孤独に耐えるなんて……俺がさせたくなかった。
「どうした? さぁ入って」
夜間の診察室は人気が無い。緊張した面持ちで、なかなか入ってこない柊一の背中をそっと押して促してやった。
「あっはい……お邪魔します」
触れて初めて分かる。
君の躰はとても冷えていて、まだ細かく震えていた。
焦燥しきった横顔が痛々しい。
無理もない。 君は今日1日で相当なダメージを受けたのだから。
理不尽に踏みにじられそうになった貞操。
その恐怖も冷めやらぬタイミングで弟の激しい発作を目の当たりにして……俺が今後の治療方法を説明する前に、君はすべてを諦め……人生を手離そうとしてしまった。
そこまで追い詰められていたなんて。
俺がもっと早く行動すべきだった。だがとにかく間に合ってよかった。君を失わなくてよかったと改めてしみじみと思う。
それにしても、参った……
外科医なので外傷は治療出来ても、デリケートな心の傷の癒し方は分からない。
今まで遊びのような恋愛は散々経験してきたが、今は分からないことだらけだ。
本気で愛したい人と出会った時、どうすればいいのか分からない。
いい歳をして、そんなことも? と突っ込みたくなるが当然だ。
俺は今までこんな一途な恋をしたことがないのだから。
柊一を守ってやりたい、癒してやりたい。
ただそれだけを純粋に願っている。
今、俺の横で不安に怯える柊一に何をしてやれる?
俺に出来ることは何だ?
そうだ……こんな時は。
柊一を診察室の簡易ベッドに座らせて、急いで給湯室の横にある受話器を取った。
国際電話の相手は瑠衣だ。
柊一が小さい時から、ずっと傍で見守ってきた瑠衣なら……
「もしもし瑠衣か。今、話せるか。仕事中だったか」
「珍しいね。こんな時間に……ちょうどアーサーとアフタヌーンティーをするところだよ」
「アフタヌーンティー? あぁ紅茶か……あっそうか。それだ!」
以前、イギリス・ノーサンプトンシャーに立ち寄った時、瑠衣が入れてくれたミルクティーがとても美味しかった。胃に負担がなく優しい味わいだった。
「瑠衣、お前の紅茶のいれ方を教えてくれ。ミルクティーがいい」
「海里が自ら? 君に紅茶をいれたい人ならごまんといるだろうに」
「俺がいれたい人がいるんだ! 」
「海里……?」
「早く」
「分かった、今どこにいる?」
「病院の給湯室だ」
「ポットはある? 紅茶のリーフは? 」
「紅茶なら、アーサーが土産にくれた缶があるぞ」
「なら話が早いね。まずポットにお湯を沸かして。百円玉くらいの泡が立つまでしっかり沸騰させ、ティーカップも温めて」
「ティーカップはないが、マグカップなら」
「それでいいよ」
瑠衣は少し驚いていたが、俺の真摯な気持ちが通じたのか懇切丁寧に教えてくれた。
「それから、ミルクは温めないで使って」
「分かった。そうだ、砂糖はいれないのか。お前がいれてくれたのは少し甘かったぞ」
「あっごめん……つい、いつもの癖で。柊一様は少し甘めが好きだったから」
それだ! 柊一が好みの味がいい。
柊一が飲み慣れた瑠衣のミルクティーの味なら、彼の心が幼い頃のように休まるのでは。
「いつもどの位、砂糖を入れていた? 」
「小匙1杯程度かな、甘すぎずちょうどいいと」
「ありがとう!」
「あっ……海里……君は一体、誰に紅茶を? 」
「それはまた話す。悪い、急ぐから」
俺は忠実に教わった通りにミルクティーをいれた。
一杯の紅茶に心を込めて……
温かな湯気が立つマグカップを持って、暗い病室の廊下を歩く。
俺が見つけた光。
俺の存在にようやく気づいてくれた、恋しくて、愛おしい人の元へ……
ぬくもりを届けに行く。
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