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淡い恋が生まれる 7
一人自宅に戻り、急いでシャワーを浴びてから、服を着替えた。
「そういえば昨日着ていた僕のスーツの上着、森宮さんに預けたままだ」
あの男に力任せに脱がされた弾みで肩口が破けてしまった上着は、もう二度と見たくないとも……大切な形見だから手元に置いておきたいとも……
三つ揃えのスーツは、僕の一張羅。
二十歳の祝いに両親に作ってもらい、お祝いのパーティーで着たものだ。
優しかった母が嬉しそうに、スーツ姿の僕を見つめ『その薄鼠色のスーツは、柊一の濡れたような黒髪とよく似あうわね。私が見立てた生地だけあるわ』と褒めてくれた。
それから手早く出社の準備を整え、家を出たが、まだ少し時間があったので、久しぶりに中庭を眺める余裕があった。
雪也がいない家は寂しいと思ったが、今日の僕は気持ちが前向きだったせいか、いつもなら素通りしてしまう庭に足を一歩、踏み入れた。
ここは、よく母がお茶会をしていた懐かしい場所だ。
あれ? あの白い花は……
手入れが出来ずに荒廃してしまった庭に、逆境にも負けず咲く白薔薇を見つけ、ハッとした。
この間は一輪だけやっと咲いていたのに、いつの間にこんなに咲いていたなんて……狐につままれた気分だ。
思わず立ち止まり、美しい白薔薇の香りを楽しんでいると、門の外から声を掛けられた。
「よかった! 柊一さん戻ってきたのね。昨夜は大丈夫だったの」
振り返ると迎いの家の白江さんが立っていた。
心配そうな表情を浮かべている。
「白江さん、おはよう」
「まぁ呑気な……救急車が夜に来たでしょう。やっぱり雪也くんが発作を?」
「……うん」
「あぁ気づかなくてごめんなさい。雪也くんが最近よく家にいることは知っていたのに」
「いや、白江さんのせいじゃないよ。僕が忙しくて気づいてやれなかった」
「あ……そうだわ。あのね、最近、また庭師の人を雇ったの?」
「え?」
庭師ならとっくに去って行ったが……何のことだろう。
「いや、あの人は庭師じゃないわね。もっとこう、気品のある素敵な男性だったわ。あら、私ってば何を言ってるのかしら?」
白江さんはもう双子の女の子の母になっていた。
そのせいもあるのか、恥ずかしそうに笑っていた。
「もしかして……誰か見知らぬ人が、最近ここに来ていた?」
「そうなのよ! 私は見たことがない男性だったけれども、雪也くんがよく懐いていたので大丈夫かなと判断したので、柊一さんには話さなかったの」
「……きっとその人は、雪也の主治医の先生だよ」
「まぁなんだ、そうだったのね! お医者さんなのね。とっても素敵な方だったわよ。その方ね、とても熱心に白薔薇の手入れをしていたのよ。だからお庭の薔薇、また綺麗に咲きだしたでしょう!」
「確かに。そうか……そうだったのか!」
森宮さんが、僕のために……庭の手入れまで自ら。
こんなに美しく、再びこの庭に白薔薇を咲かせてくれて嬉しい!
森宮さんを誉めてもらえたのが嬉しかったのもあり、白江さんと別れてからも、僕の胸の内は高揚したままだった。
森宮さん……
僕を救い雪也を救い、更にこの庭まで……
どこまでも素敵な人だ。どこまでも真剣に僕を大切にしてくれるのが伝わってくる。
早く会いたい……明日が待ち遠しい。
そうか……『恋をする』とは、こういう事なのか。
あなたが僕を大切に想ってくれるのが嬉しい。
だからもう二度と昨日のような事はしないし、選ばない。
しかし今になって、この歳まで恋愛経験が皆無なのが不安になってきた。
森宮さんに「お付き合いする」と答えたものの、この先どうすればいいのか全く分からない。
ブランケットに添えた手紙も、あれでは堅苦しかったのではと心配になってきた。
恋文には程遠かったよな……
僕の気持ちを素直に伝えたつもりだが。
とにかくさっきから今まで抱いたこともない複雑な甘酸っぱい感情が、どんどん芽生えてきている。
初めて恋を知った僕自身に戸惑いつつも、このまま森宮さんと共に進んでみようと、前向きな気持ちになっていた。
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