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淡い恋が生まれる 8

 いつものように仕事をしていると、冷ややかな視線を背中に浴びているのに気付いた。  一体、今日は何だろう。  この職場での僕の扱いは、相変わらず地の底だ。  今までだって散々嘲笑され、見下され、卑猥な言葉を浴び続けていた。だが今日感じる視線は、それより更に悪質で身震いする程、邪悪なものだった。  連鎖反応のように、昨日我が身に降りかかった辛い出来事を思い出してしまい、吐き気が込み上げてきた。  どんなに誠意を尽くしても、どんなに仕事を頑張っても、どうやっても認められない場所が存在するのを知ってしまった。  だが同時に、こんな僕を守ると言ってくれた男性の力強い声、逞しい腕を思い出していた。  森宮さん──  僕を信じて、僕を愛してくれる人の存在が、こんなにも力強いなんて。  頑張れるだろうか。  ここで、この先も……森宮さんを支えに、がんばらないと……  だがそんな僕の奮闘は、あっけなく踏みにじられてしまう。  帰り際……社屋を出た所で後ろからついて来た同僚に捕まった。 「冬郷よぉ、週末はよかったか」 「一体何の話だ?」 「へへへ、お前には、いい値がついただろうな~」  ガムをクチャクチャとさせながら、卑猥な笑みを浮かべるのは、社内で僕を散々ねちねちと虐めてきた奴らだった。 「なっ何?」 「先生はお前にいくらくれた? 男に抱かれた感想を聞かせろよ。初めてだったんだろう? 綺麗な顔に産まれたことを感謝しないとな! 」  何てことを……ひどい侮辱だ。  僕は躰を売っていない。切羽詰まって売りそうになったのは事実だが……そんな言葉で貶められるなんて酷い。  屈辱に震える唇を、キュっと噛みしめるしかなかった。 「……僕の机に、あの招待状を置いたのは、君たちか」 「はははっ、やっぱり行ったんだな、行くと思ったぜ! お前、金に困ってるんだろう。なんなら今日は俺達の相手しろよ」 「やめろっ! 離せ!」 「いいじゃんか。一度経験したんだから、もう怖くないだろう」 「僕はそんなんじゃない!」  引きずられるように、二人がかりで路地に連れ込まれた。更に口を塞がれそうになったので、必死に抵抗した。 「おいっ騒ぐなよ。どうせお前を助けてくれる奴なんて一人もいねぇよ! 落ちぶれたお坊ちゃんのくせに! おい、ちゃんと金なら払うから安心しろよ」  力で封じこめようとする昨日の男と同じ目をしていた。 「やめろ! 嫌だっ!」 「五月蠅いなー少し黙れっ!」  また暴力で支配しようとするのか。  思いっきり振りかざされる手に、恐怖に目を瞑り、痛みに備えて歯を食いしばることしか出来ないなんて、悔しい── 「おいっ! お前ら現行犯だぞ!」 「なっ!」  声に弾かれるように目を開けると、驚いたことに森宮さんが立っていた。    彼の着ているベージュのトレンチコートが風にぶわっと舞っている。  あ……まただ、また、感じる。    あなたは、まるで中世の騎士のようだと。  彼は壁に追い詰められていた僕を庇うように、立ちはだかってくれていた。 「森宮さん……どうして……」 「はぁ、やっぱりこんなことに……柊一、無事か」  森宮さんが僕を守るように支えてくれる。  その背後では警察に捕えられている同僚の姿が見えた。 「わぁぁ離せよ!」 「くそっ!」  やがてザワザワとした喧噪が遠ざかり、路地には僕と森宮さんだけになっていた。 「柊一、震えているな。もう大丈夫だよ。俺がついている」 「あ……っ、どうして……ここを」  怖かった。一気に脱力してしまった。 「実は昨日のパーティーを暴いていくうちに、柊一の働く出版社が招待状の媒介となっていることを突き止めたのさ。もうこの出版社は潰れるよ。闇組織と繋がっているのが分かったから」 「……そんな……あっでも、それでは……僕は職を失ってしまう」  そんな場所で働いてたなんて……  僕は何も知らなかった。世間知らずもいい所だ。でも僕が職を失ったら、どうしたらいいのか。 「それは心配ない。大丈夫だ。柊一には新しい職を用意してある」 「えっ」 「俺に任せてくれ。君の生まれ持った品格を求めている場所がちゃんとある」  森宮さんの言葉は、まるで魔法のように僕を安心させてくれる。 「森宮さん……」    声に出せば、安堵と思慕の気持ちが溢れてきて、涙で視界が滲んでしまう。 「言っただろう。君はもうひとりじゃない。俺がついている」  何度も何度も僕の背中を擦りながら囁いてくれる声が、どこまでも心地よかった。        

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