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甘酸っぱい想い 1
「さぁ乗って。君の家まで送るよ」
彼の運転する車に乗せてもらうのは、これで二度目だ。
「大丈夫か」
「はい……」
僕はこういう時、気の利いた言葉が浮かばない。木偶の坊のようで情けなくなるが、胸が一杯過ぎて何をどう話せばいいのか、本気で分からなかった。
そんな僕に対して、森宮さんはどこまでも紳士的だ。
先ほど路地裏で額に受けた口づけは、誓いの印。
その部分がまだ熱く火照っているように感じた。
一生忘れられない、厳かな口づけだった。
今までだったら助けを望めない絶望的な展開だった。なのに……あんな風に颯爽と現れて、あんな風に守られたら、女の子だったら真っ逆さまに恋に堕ちてしまう瞬間だろう。
いや、女の子じゃなくても、真っ逆さまだ……僕のように。
「参ったな……」
思わず口から零れた言葉に、森宮さんが苦笑した。
「柊一、それは俺の台詞だよ」
「あっすみません」
「いや、いいんだ。君の頭の中は、今、パンクしそうか」
「えぇ……その通りです、あまりの急展開についていけなくて」
「ふっ、君のそういう真面目なところも好きだ」
「あっ……」
また『好き』と言ってくれた。
『僕もです』そう伝えたいのに、慣れない言葉を発するのが難しくて、でもちゃんと伝えたくて、また頭の中がパンクしそうになる。
「ぼ、僕も……です」
「ふっ、柊一は本当に可愛いね。大丈夫だ。俺は君のペースで恋をしてみたいから、歩調を合わせるよ」
「なんだか、まだ信じられなくて」
「夢じゃないよ」
「……はい」
「疲れたろう。少し寛いで……外の景色でも見ているといい」
「ありがとうございます」
緊張する僕を気遣って提案してくれたのだろう。
そのまま座席に深くもたれ……車窓から夜の街をぼんやりと眺めた。
この辺りは大きなお屋敷が多いから……点々と散らばる街灯の灯りが、キャンドルのように瞬いている。
まるで……おとぎの国のよう──
森宮さんの運転があまりに上手なので、乗り心地が良く……いつの間にか微睡んでしまった。
夢現の中で……森宮さんの運転する白い車は、まるで馬車のようにひた走っていた。
(柊一坊ちゃま、お話の続きが知りたいのですか)
(瑠衣、早く教えて。お姫様は王子さまに助けられて、どうなった?)
(戦いを終えた二人は、白馬の馬車に乗って、無事にお城に戻ってきましたよ)
(それで、それで、どうなるの?)
(くすっ、どうなったと思います?)
懐かしい。弟が生まれる前、執事兼養育係だった瑠衣に、よく書庫で絵本を読んでもらった。英語で書かれた本の内容は分からないので、とにかく瑠衣が続きを話してくれるのが待ち遠しくて、身を乗り出して聞いた。
「柊一、大丈夫? もう着いたよ」
「あっ僕……眠ってしまって? 」
「少しね」
気が付くと、いつの間にか僕の家の車寄せに停車していた。
暫く自然に目覚めるのを待ってもらったようで、時計の針が思ったよりも進んでいた。
「わっ、すみません。降ります。あっ……あれ?」
ところが安堵したせいか、躰に力が全然入らない。
もたもたしていると、森宮さんが先に車から降りて、助手席の扉を開けてくれた。
「さぁ俺の手に掴まって」
僕に向かってまっすぐ差し出された手に、甘酸っぱい想いが駆け上ってきた。
これは、まるで夢の物語の続きを見ているようだ。
おそるおそる手を重ねると、雷に打たれたように熱が走った。
「わっ、あのっ、すみません」
「君は謝ってばかりだな。こういう時は『ありがとう』がいい」
「あ……」
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