121 / 505

甘酸っぱい想い 12

「兄さま!」  病室のカーテンを潜ると、雪也が満面の笑顔で迎えてくれた。  やはり入院させて良かった。病院の手厚い治療のお陰で日に日に元気を取り戻しているのが、手に取るように分かり安堵した。 「おはよう雪也。今日は更に顔色がいいね。調子もいい?」 「はい! とても」 「よかった」  雪也のサラサラの黒髪を撫でてやる。中学生になったのに、まだ小学生のように小さくあどけない躰が愛おしくて、一晩会えなかったこともあり優しく胸元に抱き寄せた。すると雪也も嬉しそうに胸元に顔を埋めてくれる。  僕たち兄弟は一心同体だ。同じ哀しみを乗り越えて来た。 「あれ? 兄さまから何だかいい匂いがしますね」 「えっ」 「なんだろう? この匂い、いつもと少し違うような。何か変わったことでも?」  前言撤回かも……!  目聡い弟にたじろいでしまう。 「なっ何もないよ」 「ふぅん……そうかな。何かいい事があったのでは」  雪也が悪戯っ子のような顔で笑うので「コラっ」と注意した。 「雪也は少し耳年増の傾向があるよ。まだ若いのに兄さまは悲しいよ」 「くすっ兄さまがそんな下世話な事を言うのは似合いませんよ。でも嬉しいです。そんな軽口をたたけるようになって、もしかして明るくなったのは海里先生のおかげですか」 「しっ静かにっ」  弟に図星を指されて動揺してしまう。  全く、これでは兄としての面目が台無しだろう。 「おはよう。雪也くん」 「あっ噂をすれば海里先生だ! おはようございます」 「さぁ朝の回診だよ」 「あっ僕は廊下で待っています」 「うん、あとで二人に今後の話をするから、待っていてくれ」 「分かりました」  ふぅ……必至に冷静さを装ったが、大丈夫だったろうか。  医師としての白衣姿の森宮さんは目が覚めるような美男子だった。  つい見惚れた上に、昨夜と今朝の彼の逞しい上半身を思い出し赤面してしまった。    あんな素晴らしい人に、この僕が好かれているなんて……まだ信じられない。    女の人なら見つめられただけで恋に落ちてしまうだろう。男の僕だって、朝からこんなに高揚してしまうのだから。  そう考えると、本当に僕なんかでいいのかと少し不安になってしまう。  僕は男だし恋愛経験もないので……気の利いた言葉も言えない。とにかく全てにおいて経験がなさ過ぎて、彼を喜ばせてあげる事なんて到底出来そうにない。この先、僕をもっと深く知ってもらうのは嬉しいけれども……森宮さんをがっかりさせてしまわないか心配になるよ。 「どうした?」 「兄さま?」 「あっ」  気が付くと廊下の壁にもたれる僕の目の前に、森宮さんと雪也が立っていた。 「柊一、悪いが9時になったら1番診察室に来てもらえるか。教授に呼ばれたから」 「あっはい」  白いマントではなく白衣を翻し、颯爽と廊下を歩いて行く彼の背中をいつまでも見送った。  なんだか名残惜しいな。  昨日からずっと一緒だったからなのか。  離れがたい──    すると僕の不安が伝わったのか、雪也が僕の手を握って励ましてくれる。 「兄さま、大丈夫ですよ。海里先生はもう兄さまにメロメロですから」 「めっ、メロメロって……ゆっ雪也は、全くどこでそんな言葉を覚えたんだか」 「あの、さっきの回診の時、先生から同じ匂いがしましたよ」 「何が」 「僕のお家のシャンプーと」 「あっ!」 「昨日は我が家にお泊りになったんですね」 「うっ」 「先生ってば上機嫌でしたよ。兄さまからは先生の匂いがするし……」  あっという間に見抜かれて、気が動転した。 「……」 「もうっ兄さまってば驚き過ぎです。僕はお二人のことを応援するってちゃんと伝えましたよね。先生は兄さまのことが好き、兄さまも同じですよね?」  無垢な瞳で問われたら……嘘はつけない。 「うっうん……」 「ならばあまり怖がらないで心配しないで……大丈夫です。それよりも信じる方が大事です」 「はぁ……雪也はたまに僕より大人びたことを言うね」 「僕も自分の病気が前は怖かったし、心配でした。でも今は海里先生も兄さまもついていてくれるので、大丈夫だと信じています。それに目標が出来ましたから」 「何?」  弟の無垢な瞳に、今は生気が宿りキラキラと輝いている。  こんなにも彼のワクワクした表情を見るのは久しぶりだ。 「僕は……海里先生と兄さまの結婚式を見るのを、まず直近の目標にします」 「けっ結婚式!?」」  何を言いだすのかと思ったら、いきなり飛躍しすぎだよ。  僕はまだ接吻すらままならないのに。  動揺しつつ……僕の頭の中に、白薔薇の庭園《ガーデン》に、森宮さんと二人で並ぶ姿が浮かんだので、驚いた。 「兄さまの幸せ……僕はずっと近くで見守ります。だから怖がらなくても大丈夫ですよ」

ともだちにシェアしよう!