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甘酸っぱい想い 16
「坊ちゃま、お帰りなさいませ」
「おいおい。いい加減にその呼び方はよせ。俺をいくつだと?」
「申し訳ございません。私から見たら、海里様はいつまでも小さなお子様のようで」
「全く……」
俺が産まれた時にはもうこの家に仕えていた執事の田村はもう70歳近い。だから俺のをいつまでも子供のように扱うのが癪に障るが、慈悲深い人間で憎めない。
まぁ確かに……柊一に恋している今の俺は、まさに子供のようなものだ。こんなに毎日がイキイキと楽しくなるなんて、彼の影響は大きい。どうやら真剣な恋に対して、心は意外と単純に出来ているようだ。
「俺に手紙は来てなかったか」
「机の上に3通ほど……」
「分かった」
何を待っているかって?
それは柊一からの返事だ。慎重な彼からの恋文の返事だ。
こんなに早く届くとは思っていなかったが、もしや。
自室の書斎に角を揃えてきちんと置かれた手紙に飛びつくと、美麗な文字で書かれた純白の封書が目に入った。
この筆跡は柊一だ。病院でもらった簡易的な手紙ではなく、俺のために時間をかけてくれたと思うと、愛おしさが満ちてくる
さらりと滑らかな質感の上質な封筒には、白い蝋を垂らし紋章が押されていた。
「封蝋《ふうろう》か、柊一らしいな。古風なことを。しかも普通は赤い蝋を使うのに、白に薔薇の家紋とは粋だな」
指で封蝋の凹凸を優しく撫でると、柊一の屋敷に咲き誇る白薔薇を思い出し、今すぐにでも清楚に微笑む彼に会いたくなってしまった。
君の頬に触れ、額に口づけをした。
その先も望みたくなるよ。
さぁ君は……どこに行きたいとご所望か。
木漏れ日がさす池でボートなんかもいいな。
それとも銀座で美味しいものを一緒に食べるのもいいだろう。
……
森宮さんへ
この度は嬉しいお誘いをいただき、ありがとうございます。僕もぜひお会いしたいです。森宮さんとは、もっとゆっくりお話がしたいと思っておりました。だからご一緒させていただけるのが今から楽しみでなりません。
いろいろ考えたのですが、行先は「歌舞伎座」でもよろしいですか。ずっと時間がなく、久しく歌舞伎を観ていないので、よかったら僕を連れて行って下さい。
追伸……観劇代はお支払いします。昼の部でお願いします。
……
可愛い手紙だった。俺の熱い恋文の返事としては淡白なものだったが「僕を連れて行って下さい」と願う君の心がしっかりと届いた。
少し追伸が多すぎるが、君にしては上出来だ。
それにしてもご所望は歌舞伎?
歌舞伎ってあれか。あの手の類いは堅苦しく感じ、行く機会がなかったな。
何をリクエストされるかと思ったが想定外だ。もちろん柊一が望む所に連れて行きたいが、俺の方も予習が必要だな。しかも昼と来たか。大方、雪也くんが待っているからだろう。
どこまでも清らかで優しい人だと感心する。
その晩、俺はまた英国在住の瑠衣に国際電話をした。
「瑠衣、教えてくれ」
「海里、君は最近よく電話をしてくるね。一体どうしたの?」
「お前は歌舞伎座には行ったことはあるか」
「歌舞伎? もちろんあるよ。柊一さまのお屋敷に勤めている時に、旦那様を何度も歌舞伎座までお送りしたよ。旦那様がとてもお好きでね。その影響か柊一さまも学生時代によく一緒に通われていたよ」
なるほど、その影響なのか。これは是非とも期待に応えたい。
「瑠衣、それで歌舞伎というものは、どんな服装で行くのが正式だ? 何かマナーがあるのでは」
「……どんなって、海里、面白い事を言うね」
英国にいる瑠衣は、電話の向こうで少し可笑しそうに朗らかに笑った。
その声が魅力的だと思った。
わが弟ながら、清廉さと色気を兼ね備えた、いい男だ。
アーサーが惚れまくったのが分かる。
「さてはデートで行くのか。海里ならそのままで十分魅力的だよ。君は誰が見ても美男子だから、自信を持って」
「いや、パッと目を引くのがいい」
「うん? 難しいことを言うね」
「そうだ。柊一の父親はどんな格好だった?」
「えっ『柊一』って? ずいぶんと慣れ慣れしく呼ぶんだね」
「あっいや」
「そういえば……旦那さまはいつも正式な和装で、素敵だったな。柊一さまは学生服だったので、その姿に憧れていたようで」
耳よりな情報だ。
俺は柊一の心をもっと掴みたいし、もっと跳ねさせたい。
「ありがとう。いい情報だった」
「ん? 役に立ったのか分からないけれども、肝心なのは心《ハート》だよ……海里」
「あぁ分かっている。その心をもっと解してやりたくてな」
「そうなのか。うん……恋に不意打ち《サプライズ》は必要かもね。頑張って……応援しているよ」
「瑠衣もアーサーから、もらいまくっているのだろう。そのうち俺の相手の事も話すよ」
「うん、聞くよ。上手くいったら教えてくれ」
瑠衣はきっと驚くだろう。
俺の恋の相手が柊一だと知ったら、その不意打ちに……
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