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甘酸っぱい想い 18
「あの、どちらへ」
森宮さんの優美な和装姿が目立ちすぎて、通り過ぎる人が皆、振り返っていく。
麗しい彼に、同じ男の僕が背中を押され案内《エスコート》されているのは、穴があったら入りたい程、恥ずかしかった。
もう……駄目だ……顔から火が出そうだ。
仕事では嫌がらせを受け、何度も恥ずかしい目に遭ったが、これは違う。
こういう類いの恥ずかしさは未体験で、一体どんな顔をしたらいいのか分からない。
本当に慣れないことをしている。
でも……嬉しい。
でも……恥ずかしい。
距離が近くて……息が出来ない程に。
エレベーターに乗ると、エレベーターガールの女性に「あっ」と声を出されあからさまに驚かれた。
男二人が寄り添うように乗り込んだから?
それとも僕の顔が赤すぎるから?
いや違う……
どうやら女性は森宮さんに見惚れているようで、ちらちらと熱い視線を投げかけている。一目惚れしてしまう気持ちも分かるが。
「あっ……上に参ります」
「4階を頼む」
「かっ畏まりました」
上擦った声に女性の明らかに森宮さんを意識する緊張が伝わってきて、突然、胸の奥がシュン……っと萎んでしまった。
「4階でございます」
「ありがとう。おいで柊一、こっちだよ」
エレベーターが停止すると、また森宮さんに背中に案内された。
背中に添えられた手。
さっきはドキドキしたのに、急に寂しい気分になって足取りが重くなる。そんな不慣れな僕の些細な変化は、森宮さんにすぐに気づかれてしまった。
「どうした?」
「……」
「悪い。何か気を悪くさせたか」
「……ずるいです」
「え……」
どうしよう! こんな風に拗ねた子供みたいに駄々を捏ねるつもりでは……もしかして、この気持ちは『嫉妬』というものなのか。
「……あなたが……素敵すぎて、人目が」
「ふっ参ったな。とても嬉しいよ」
「え?」
呆れられると思ったのに、森宮さんの反応は真逆だった。
「あの? どうして喜ぶのですか。僕は嫌な事を言ったのに」
「柊一が俺を意識してくれているからさ。好きな人に関心を持ってもらえるのは、こんなに嬉しいのか。知らなかったよ」
森宮さんともあろう人が、こんなことで喜ぶなんて……
匂い立つような和装姿で僕を見下ろして甘く微笑む彼に、やっぱり見惚れてしまう。エレベーターガールの気持ちが、分からないでもない。
「森宮さんは……」
「俺は柊一しか見ていないよ」
あっまただ。
僕が欲しい言葉を、流れ星のように与えてくれる。
そんなにタイミングよく流れる星なんてないのに、森宮さんは違う。
僕が助けて欲しい時に現れ、傍にいて欲しい時にいてくれる。そして欲しい言葉を、ほら、こうやってすぐにくれる。
彼の見かけが派手だとか、人目を引いてしまうという……うわべに囚われるのは、もうやめなくては……
「信じてくれ」
「……あなたを信じます」
「よかった。嬉しいよ」
彼が目を細めて、愛おし気に僕を見つめる。
森宮さんみたいな人でも自信がない事があるのか。
まるで僕の言葉に一喜一憂しているような反応だ。
とても心地よい視線を浴びる。
愛おし気に僕を見つめる視線がどこまでも柔らかく、なんだか森宮さんに抱かれているような不思議な気持ちになる。
「さぁ早く行こう。歌舞伎の上演時間が迫っているしな」
「どこへ」
「ここだよ」
案内されたのは紳士服売り場。
既製服ではなく受注生産《オーダーメイド》の売り場だった。
「柊一様、お久しぶりです」
「あ……お前は」
メジャーを肩にかけ現れた初老の男性の顔は、よく見知ったものだった。
父が懇意にしてた紳士服の職人だ。
「本当にお久しぶりでございます。そしてお悔やみを申し上げます。今頃になり申し訳ありません」
「何で?」
訳が分からず森宮さんのことを見上げると、彼がまた甘く微笑んでくれる。
「頼んだ物は出来ているか」
「はい、こちらでございます」
職人が持ってきたのは、あの三つ揃えの薄鼠色のスーツだった。あの日……無理やり裂かれて、もう着ることは出来ないと思っていたのに、これはどうしたことか。まるで新品のようだ。
「え……これは」
「同じ生地で作らせたよ。君の家のお抱えだった仕立て屋を探し出し、スーツの記録を見せてもらった」
「だから……」
「勝手にごめんな。あのスーツは生地が傷んでもう再生は無理だったから、同じ生地で仕立ててもらったよ。さぁ着てみて」
夢のようだ。この手触り着心地……寸分変わらない。
「あの生地と同じなんて……信じられないです」
「柊一さま、これは全く同じ英国の羊毛《ウール》生地ですよ。実は奥様から頼まれておりました。柊一様がとても気に入っている生地なので10年後まで保管するようにと既にお代も頂戴しておりました」
「何で……10年も?」
「雪也さまがご成人された時に、再びお揃いで仕立てたいと」
お母さまが当時、そんなことを?
信じられない……嬉しい事実。
森宮さんと出会わなかったら、きっと永遠に気付かなかったことだ。
森宮さんは、僕に魔法をかけてくれる。
あの日、心と共に傷つけられボロボロになったスーツは、今、この瞬間、新品に生まれ変わった。
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