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甘酸っぱい想い 19

「さぁ早く着替えておいで、きっと似合うよ」 「本当にありがとうございます。嬉しい|不意打ち《サプライズ》でした」 「礼を言うのなら、生地を買い取り10年間の保管を申し出くれた母親にだ」 「はい。でもあなたが見つけてくれて、こうやって仕立ててくれたからでもあります」  まだ信じられないという面持ちで俺を見つめる柊一に、着替えを促した。 「では着替えて来ますね」 「あぁ」  彼は新調されたスーツを大切そうに胸に抱き、懐かしそうに微笑んだ。  彼にとって優しい両親が健在の頃の良い思い出が詰まっているのだろう。  あの日無残に破かれてしまったスーツは再生出来なかったが、むしろこれで良かったと確信できた。  今回は俺の執事に感謝している。破れてしまった上着を預かったので、修繕方法について調べさせた。すると後日、彼から上着を仕立て直すのが一番良いと提案された。驚いたことに製造元に問い合わせて、冬郷家のお抱え職人を探し出し、同じ生地がまだ存在することを突き止めてくれていた。  全く、執事の田村には頭が上がらないな。  瑠衣もこんな風に尽くしていたのか……瑠衣が大切に慈しんだ柊一のことは、俺が見守るから安心してくれ。    瑠衣に、早く告げてしまいたい衝動に駆られるな。  ところで採寸の記録も直近のものを参考に、不意打ち《サプライズ》で特急で仕立てさせた。寸法は大丈夫だったろうか。 「あの……どうでしょう」  俺の目の前に現れた三つ揃えのスーツを着こなした柊一は、上品な雰囲気で溢れていた。生まれながらの貴公子は君だよ。寸法もぴったりのようで安堵した。  俺なんかよりもっと清らかに育った、純粋培養のお坊ちゃんだったろう。そんな君が突然の不幸に見舞われ……奈落の底に突き落とされ、弟を守り、家を守るために、自分の躰を売ろうとした日があったなんて……  改めて君の覚悟がいかほどだったのか、思い知らされる。  柊一はとても頑張り屋で芯が強い。でも本当は寂しがり屋で甘えん坊だ。おとぎ話に憧れるような一面もある。知れば知る程、彼の気質の一つ一つが魅力的だ。 「あの……?」 「あぁすまない。あまりに似合っていて、言葉を失った」 「そんなっ、あの、素晴らしいのは森宮さんの方です。良い色の着物ですね」 「ありがとう。君の薄鼠色のスーツの色と揃えた」 「そうですね」  柊一も気づいていたのか、少し頬を染めてコクっと小さく頷いた。 「でもそのネクタイの色は地味だな」 「あ……これは元々してきたもので……すみません」 「いや、俺からはネクタイを贈らせてくれ」 「でも」 「スーツの生地代はかかっていない。気にするな」 「あっはい……では、ありがとうございます」  育ちがいい彼らしいな。  慎ましい中にも素直に深く感謝してくれた。こういう所も好きだ。  売り場に彼を連れて行き、俺が直感で選んだのは、深い碧色の絹のネクタイだ。 「これが似合いそうだ」 「あっ」  柊一が何か言いかけた。彼は慎ましやかなので、言葉を慎重に発する。 そんな彼の一言一言は、いつだってとても心地いい。 「森宮さんの瞳の色みたいで綺麗です。森林《forest》の碧色《green》ですね」  本当に柊一の言葉は綺麗だ。  君こそ汚れた世界を浄化してくれる存在のようだ。  そんな君がますます好きになる。 「嬉しいよ。君の一部になれて」 「えっ」  決して変な意味で言ったわけではないのに、柊一は卒倒しそうな程、顔を赤くしていた。初心だな、やはり。 「さぁ行こう」 「あっはい」  二人並んで歩く歌舞伎座までの道のりでは、明らかに君の楚々とし姿に目を奪われている女性が沢山いた。  そんな君と肩を並べて歩けることが、とても嬉しく誇らしかった。 「森宮さんのこと、皆さん見ていますね」  少し拗ねたように告げる君が唇が可愛くて、仕方がない。 「そうか」 「和装姿……本当に素敵です。僕はあなたと一緒に歩けて嬉しいです。それに……」 「なんだ?」 「はい、胸を張って歩けるのはこのスーツのお陰です。ありがとうございます」  さっきまでのように俯かず、真っすぐに俺を見上げる瞳には、自尊心が戻り明るく澄んでいた。  君が見つめる世界は、今、どんな色をしている?  その透明な世界に吸い込まれそうだ。    柊一のどこか菫色がかった澄んだ黒い瞳に、いつまでも映る人でありたい。  誰かのために咲く花になりたいと、ふと思った。 「森宮さんは、やっぱり白薔薇のようですね。艶やかで美しく気品があって……」  頬を染めた柊一からの誉め言葉に、胸が震える。 「ありがとう。柊一は菫《すみれ》のような人だ」    そういえば西洋では薔薇は美、菫は誠実の象徴で、聖母マリアに捧げられる花だったな。  ふと英国に瑠衣と留学して、ひっそりと過ごした日々を思い出す。  あの頃の俺は待っていた。  いつかこんな日が来ることを、ずっと。 「薔薇と菫は相性がいい」 「そうなんですか、嬉しいです」    柊一が甘く微笑む。  君と話せば話す程、過ごせば過ごす程……  どんどん夢中になっていく。 |恋に落ちる《fall in love》……

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