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甘酸っぱい想い 21

「美味しいか」 「はい、とても。 久しぶりに目にも美しい食事を取れて幸せです」 「そうか」  やはり外食をする余裕などなかったのだな。  生活がひっ迫し大変な毎日だったのを、もっと早く察してあげたかった。  少しの後悔が過ぎっていく。  いや……これからだ。これからを変えて行こう。  ちらっと柊一の指先を見ると、もうあの頃のようにアカギレだらけではないことに安堵した。俺が贈ったハンドクリームを欠かさず使ってくれているのが嬉しくなる。  だが治りかけの火傷痕を見つけて、心配で思わず手を掴んでしまった。 「えっ、あっ……あの?」  柊一は驚いた様子で、辺りをキョロキョロと見回した。 「大丈夫。ここは個室だ。こちらが呼ぶまで給仕は来ない」  俺は誰に見られたって構わないが、柊一は初心だから合わせてやらないと可哀想だ。君にやっとまた触れることが出来た喜びから、離すに離せないでいると、柊一がもう一度口を開く。 「でも……あの……」 「これは火傷か……痛そうだ」  優しく火傷痕を指の腹で撫でると、くすぐったそうな素振りをした。 「もう痛くないか」 「はい……実は雪也にパンケーキを焼いてあげようとしたら、失敗してフライパンで」 「君は、そんなことまでしているのか」 「すみません。会社を辞めて日中家にいるので、雪也におやつを作ってあげたくて」  なるほど、慎ましく優しい柊一らしい。会社を辞めたら今度は弟のためにおやつ作りか。でも危なっかしいな……そんなことは今までなら料理人や菓子職人に任せていたろうに。 「その、母の手料理の味を……雪也が懐かしんで」 「あぁそういえば君の母上の洋菓子の腕前は上流社会で評判だったな」 「そうなんですか。嬉しいです」  冬郷家のお茶会《Tea Party》には、奥方自らが作ったスコーンやパンケーキが出てくると、誰かが噂していた。ホテル並み、いやそれ以上に美味しいと。 「もしかしてその|調理本《レシピ》が手元にあるのか」 「えぇ母の遺品に沢山ありました。僕の腕ではなかなかうまく作れないのですが」 「そうか。今度それも見せてくれ。いい方向で活用出来るかもしれない」 「分かりました。揃えておきます」    柊一と接していると、本来の医師の仕事以外に、実家の仕事にまで関心を持てるようになった。  俺はまず医師として雪也くんの主治医として命を守り続けたい。だが柊一に再び穏やかな人生を過ごしてもらうためには、実家の力が必要だ。  父と兄貴が弟の瑠衣にした仕打ちを恨み、ずっと毛嫌いしていたのに……不思議な縁を感じるよ。柊一の存在が、俺を今までと違った世界へと揺り動かす原動力になっている。   「そろそろ幕間が終わってしまいますね」 「あぁそうだな」  まだ手を掴んだままだった。この手を離したくなかった。 「森宮さん……」    恥かしそうに俯いてしまった彼の表情が、少し伸びた前髪のせいで見えないのがもどかしく、手を伸ばして払いのけてやった。 「少し髪が伸びているな」 「すみません。行く暇がなくて」 「今度は一緒に理容店に行こう」 「……はい、あなたとなら、どこへでも」  俺を真っすぐ見つめる清廉な顔が、やっぱり綺麗だと思った。  普段は兄として跡継ぎとして張り詰めた雰囲気を醸し出しているのに、笑うと少女めいた可愛さを持っている。  そんな君の全てが愛おしい。 「あの、そんな風に見つめられると……」  柊一が再び恥ずかしそうに目を閉じたのが、まるで口づけをされるのを待つように見えて堪らなかった。 「参ったな。そんな顔されると困るな」 「すっすみません」  柊一の頬にみるみる朱が差して、血色良くなっていく。 『間もなく開演でございます』  そこで……扉の向こうからのノック音。 「分かった。ありがとう」  どうやら幕切れだ。柊一も席を立ち、扉の前まで歩き出す。 「柊一」  呼び止めると彼はその場で立ち止まり、俺を真っすぐに見上げてくれる。  怯えや羞恥よりも期待が読み取れる表情に、嬉しさが込み上げてくる。 「はい、何でしょうか」 「次の幕も楽しんでくれ」 「ありがとうございます」  そのまま血色の良くなった柔らかな頬にスッと口づけると、彼は目を丸くして慌てて手で頬を抑えた。  ふっ、やっぱり慣れていないな。  そこが可愛いのだが、次第にもどかしくもなってくるな。 「どうした? さぁ行くぞ」 「はっ、はい」  共に時間を共有すれば、彼の一つ一つの所作が美しい事が分かり、また、今まで見せたことのない表情にも出逢える。  初めての逢引き……  俺は冷静さを保つのが難しい程に、高揚していた。  

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