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甘酸っぱい想い 22

 二幕目、三幕目は、気もそぞろになってしまった。  参ったな。何度も歌舞伎を観たが、こんなに集中出来ないのは初めてだ。  そっと自分の頬に触れてみる。    ここだ……ここが熱い。  さっき口づけられた頬の熱が引かない。  ついには歌舞伎よりも、端正な森宮さんの横顔を盗み見してしまう始末だ。その間、何度か彼と視線が交わった。その度に優美に口角を上げて甘く色っぽく微笑まれるので、いよいよ熱が上がりそうだ。  やがて彼がそっと座席の下で、手を繋いでくれた。そんなことされたらますます血が昇ってしまい困るのに。  拒めない。  心地よくて安心出来て……胸が高鳴る。  気が付くと全てが終わっていた。 「楽しめた?」  覗き込まれて、どう答えたらいいのか困惑してしまった。楽しめたと言えば楽しめた。でもそれは歌舞伎というより森宮さんとの時間を楽しめた。 「……はい」 「良かったよ。俺は正直、歌舞伎は難しかったが、君といるだけで楽しかった」 「あっ……」  そうか、恋に難しい駆け引きはいらない。  もっと素直にこの想いを伝えればいいのか。 「あのっ」 「何?」 「あなたとだから、楽しかったのです」  こんな台詞言った事はない……でもどうしても今、伝えたかった。 「柊一……とても嬉しいよ。さてと、この後どうしようか」 「あ……」  時計を見るともう夕方だ。雪也が待っているし夕食も作らないと。 「すみません……今日はそろそろ帰らないと」 「ん、分かった。じゃあ百貨店にだけ寄ってくれ」 「はい」  彼はすんなり納得してくれた。そのまま百貨店の地下の食糧品売り場に連れて行かれ、何やら事前に頼んでいた包みを沢山受けった。随分と重たそうだ。 「あ、持ちます」 「……そうだね。じゃあこっちを頼む」 「はい!」  何を頼んだのか分からないが、何か所かで大きな百貨店の包みを受け取るから一人では持ちきれない程だ。僕は彼の手伝いが出来るのが嬉しかった。  男同士で付き合うとは……そもそも女の子とも付き合ったことがないから漠然としていて、どうしたらいいのか分からない。でもこんな時、こんな風に男として頼りにされ扱ってもらえるのは、やっぱり嬉しかった。  なんだろう。この感じ……   「さぁ乗って」 「あっ車でいらしていたのですか」 「うん、百貨店に駐車していた。君より先にやることがあって、迎えに行けなくてすまなかったね」 「いえ、僕は電車は慣れていますし、ライオン像の前で和装姿のあなたと出逢ったのは印象的でしたから」 「それなら目論見道理だな」 「えっ」  森宮さんが華やかに笑う。 「初めての逢引きだ。実は印象付けようと思って狙った」 「そっそうだったのですね、はい……忘れられません」 「ふっ、君の言葉は俺をやる気にさせてくれるね」  やる気!って……なんだか恥ずかしくなってくる。 「そんな顔するな。取って食いやしないよ」 「べっ別に僕は!」 「まだ……今はね……ほら着いたよ」    意味深なことばかり言う森宮さんが、僕の髪を優しく撫でてくれた。 「君は特別だ」 「あっ、今日はありがとうございました」 「また会ってくれるか」 「勿論です」  即答していた。だって僕がまた会いたいから。こんな風に時間を気にしながらも、また会いたいと願う気持ちが強くなるのは、何だか…… 「ありがとう。次はここに来るよ。君が帰りの時間を気にしてそわそわしなくてもいいようにね」 「あっ」 「柊一はおとぎ話の姫みたいだな。時間を気にして帰るなんて」 「え!」  驚いてしまった。僕も今そう思っていたから。   「兄さま、お帰りなさい」 「雪也!」  いつの間にか雪也が車窓の外にいたので、慌てて降りた。 「海里先生もご一緒なんですね。ふふっ」 「雪也、遅くなってごめんね。お腹空いただろう。すぐに夕食を作るよ」 「あっ柊一、それなら大丈夫だ。さっき百貨店で購入したのは、君たちの夕食だから」 「えっ……」  そうだったのか。そんなことまでしてもらえるなんて。  僕だけひとり贅沢をしてしまい、雪也にも何か美味しいものを買ってあげたかったが、財布が寂しくて叶わなかった。だが今はそんな自分を卑下するのではなく、森宮さんへの感謝の気持ちで一杯だ。  もうひとりで頑張りすぎない。そう決めたから。 「兄さまってば、もうぼーっとして。こういう時に言う台詞は一つですよ」 「なっ何て言えばいい?」 「『お食事を一緒にいかが……』じゃないですか」  雪也が楽しそうに朗らかに笑う。  彼らしい笑顔が戻って来た。  お母様に甘えていた頃の蕩けるような顔つきが戻ってきたことが嬉しくて、弟の言葉に素直に従った。 「森宮さん、よかったら一緒に我が家で晩餐《ディナー》をいかがですか」        

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