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甘酸っぱい想い 24
「もっ森宮さんっ……」
柊一が真っ赤な顔で頬を押さえながら、俺を見つめた。
「ん? 嫌だったか」
わざとそういう聞き方をすると、柊一は困った表情になったが、すぐに微笑んでくれた。
「嫌では……ありません。でも今は……雪也がお腹を空かせて待っているので」
「ふっいつも弟想いの君も好きだが、少しもどかしいな。俺も腹を空かせているのに」
「なっ」
おっと、またもや柊一が耳まで赤くして俯いてしまった。今日はきっともう『言葉の魔法』には、かかってくれないな。この位にしておこう。次の約束も取り付けたしな。
「さぁ出来たよ。向こうに運んでくれるか」
「はい」
礼儀正しく清潔な君が、背筋をピンと伸ばして歩き出す。後ろ姿すらも綺麗で、ほぅと感嘆のため息が漏れる。
額……頬……と来たら、次は唇をもらっても?
嫌ではないと告げてくれた柊一の甘い笑みが嬉しかった。
今まで遊びのようにしか異性とも同性とも付き合えなかった。だから唇なんて、奪い奪われて当然だと軽く思っていた。
でも、そうではないのだな。
俺はもう完全に柊一に夢中だ。
今までのようなその場限りの浮ついた恋ではない。
一歩一歩慎重になってしまう恋の始まりを切った。
いずれ俺達は『人生』という名の大きな航海に出るだろう。
今はそれまでの準備期間だ。
しっかり準備しないと溺れてしまい、沈んでしまうからな。
****
食卓に灯る蝋燭の灯り。
僕の向かいには海里先生が座っている。
そこはお父様の席だった。もう誰も座ることがないと思っていた場所に、頼もしく格好良く、しかも僕の大好きな兄さまを愛してくださる人が座ってくれている。それだけでも寂しかった気持ちが消えていく。
お父様とお母様が突然亡くなってしまった衝撃で悲しかったけれども、僕には10歳も年上の兄さまがいてくれた。
僕が泣けば抱きしめ、僕のために必死に働いてくれる……とても優しい人だ。
いつだったか。いつものように二階の窓から兄さまの帰りを待っていたら、兄さまが車寄せの灯りの届かない暗闇でひとりで泣いているのを偶然見つけてしまった。
影に呑み込まれそうで、兄さまがいなくなってしまいそうで怖かった。
兄さまを守り、兄さまを支えてくれる人は、その時、誰もいなかった。
兄さまは蔦の絡まる煉瓦の壁にもたれ、自分の腕で自分を抱くしかなかった。
その光景がズキンと胸に突き刺さった。
僕はまだ小さく兄さまを守れない。
だけど……どこかに兄さまを抱きしめてくれる人がいてくれたら、頼もしくて素敵な人がいたら、兄さまを丸ごと託したい。
兄さまを幸せにして──
兄さまを守って──
そう願うことしか、当時は出来なかった。
だから海里先生が兄さまに好意を持っているのを知った時、絶対に応援しようと誓った。
男性とか女性とかは、僕にとっては無意味だった。
兄さまの幸せを、ただ願っていたから。
「雪也くん、美味しいかい?」
「えぇとても! それに3人で食事をするのはとても楽しいです」
「そうか。俺もここが居心地よくて堪らないよ」
「兄さま、良かったですね」
いつもは僕の隣に座る兄さまが、今日は海里先生の隣に座っていた。
「そうだね。僕もこんなに美味しくて楽しい食事は久しぶりだ」
「よかった! ねぇ兄さま、海里先生もいつかここにお住まいになったらいいのに」
「え!」
「ええっ!」
二人に驚かれてしまったけれども、なかなかいい案では。だって僕の家に空き部屋だけは沢山あるし、そうなれば二人はもっと一緒に居られるから。
「参ったな、雪也くんは革新的だね。まぁいずれはそれも悪くないが、まずは一歩一歩、慎重に歩むつもりだよ。何しろ君のお兄さんは真っ白な雪のような人だからね」
「森宮さんっ」
確かにそれもそうだ。
兄さまは雪のように真っ白なままだ。
雪が急激な日差しで溶けてしまわないように、ゆっくり慣らして欲しい。
兄さまの歩調に海里先生はどこまでも付き合う覚悟を決めている。
僕はそれを知っていた。
「先走ってごめんなさい。お二人のために僕に出来る事があったら何でもしたいです」
「雪也くんは良く食べて、よく寝て、よく笑う事」
「はい!」
「雪也が今日は沢山食べてくれて、嬉しいよ」
兄さまが泣きそうな瞳で、嬉しそうに見つめてくれる。
僕が兄さまの幸せを願う気持ちは、兄さまが僕の幸せを願う気持ちと同じだ。そんな安堵から、少しだけ寂しかった気持ちを漏らしてしまった。
「あの……僕がいても、お邪魔ではないですか」
「当たり前だ。君も含めての|始まり《スタート》だよ」
「雪也、何を言う? お前がいないと僕は僕でなくなってしまうのに」
よかった。その言葉を聞けて良かった。
少しだけ芽生えてしまった不安……二人がすぐに拭い取ってくれた。
「さぁもっと食べて」
「はい! 僕は栄養をつけて手術を受けて、元気になりたいです。だって、ずっと二人の傍にいたいから」
「雪也くん、その調子だ。目標があるのはいい事だ」
どこまでも幸せな晩餐だった。
海里先生の用意して下さったご馳走も美味しかったけれども、目の前に幸せそうな二人が座っていること自体が、フルコースのように満ち足りたものだった。
「あの、ご馳走さま……」
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