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花の蜜 3
おいおい、この程度で?
俺にとっては自然の流れだが、柊一には未知の世界の出来事らしく、正面玄関でいきなりしゃがみ込まれてしまった。
俺の一連の動作は、君には刺激が強すぎたのか。
こんな調子では、俺たち前に進めるのか心配になるな。
いつまでも柊一の歩みに合わせていては永遠に口づけすらままならないのでは。ならば柊一を徐々に俺の歩みに巻き込むのが得策か。いや彼との恋は駆け引きではない。
全くこんな恋をしたことがないので、前に進むべきか後退すべきなのか分からなくなり、顎に手をあて考えあぐねてしまった。
「すっすみません。取り乱して」
気を取り直した柊一が立ちあがりコホンと咳払いしてから、屋敷の中へと案内してくれた。なんだ……もう紳士の顔に戻ってしまうのか。
「あの……まずはお茶でもいかがですか」
「いや、先に庭で作業をするよ。これ以上君の近くにいると、ろくでもないことをしそうだ」
つい口から本音が漏れると、意外な事を言われたと面持ちで、柊一の瞳が揺らいだ。
「森宮さんは何も悪いことはしていません……全部不慣れな僕が不甲斐ないだけです」
「柊一はそのままでいいんだよ。俺が慣らしてあげるから」
「なっ慣らすですか」
ふっ、君の心臓の音がこちらにまで聴こえそうだよ。
「頑張りたいのです……あなたに近づけるように、僕だって」
「そうか、じゃあ期待しているよ」
長い廊下の片隅で甘く囁くと、柊一は面映ゆい様子で俺を見つめた。彼はその一見冷ややかにも見える整った外見の下に、熱い情熱を持っている。
「あっあの、今日は中庭でお茶会をしても」
「もちろんだ。楽しみにしているよ」
これ以上二人でいると、本気で君を空き部屋に押し込み、口づけを強請りたくなる。だから手早く荷物だけ置かせてもらい、再び庭に出た。
外の空気を吸い、高まる気持ちを必死に抑え込んだ。
屋敷を仰ぎ見ると、煉瓦造りの壁面には蔦や蔓薔薇が伸び放題ではないか。庭師が離れて久しいようで、これではまるで棘の城のようだ。ホテルとの契約が無事に済んだ暁には、庭師を雇い手入れもさせよう。
「あらっ」
小さな驚きの声が聴こえたので振り返ると、鉄柵の向こうに乳母車を押した若い女性が立っていた。遠目だがとても美しい容貌だ。
そういえば彼女は以前も俺が庭を手入れしている時に、不思議そうに見つめていたな。
俺が怪しいものではないと意思表示を兼ねて微笑むと、彼女は困惑した表情になった。
おっとここは微笑む場面ではなかったのか。
「あの……少しよろしいでしょうか」
「どうぞ」
彼女は勝手知ったる様子で乳母車を押しながら敷地の中に入って来た。へぇこんな場所から出入りできるとはな。柊一の家との秘密の通路みたいで妬くな。
「はじめまして。あの……先生ですよね? 雪也くんの……」
驚いた、俺の素性を知っていたのか。
「そうです。森宮 海里と言います。何で俺のことを? 」
「柊一さんから聞いて。あの、私はお向かいに住んでおります白江と申します」
そういえば真向かいにも立派な屋敷があった。そこのお嬢さんというわけか。彼女の物腰の上品さからすぐに察することが出来た。
それにしても白江と名乗る女性の顔は、あまりに美し過ぎだ。
白い卵型の輪郭に筆で整えたような美しい曲線を描く眉。筋の通った鼻梁。憂いを含んだ瞳。漆黒の長い髪はレースの白いリボンで優雅に結わいていた。乳母車が妙に大がかりだと思ったら、中には双子の赤ん坊が眠っていた。
双子の赤ん坊は母親似で天使のように優しく愛らしく、きっと将来相当な美人になるだろう。
「あの、どうして主治医の先生が、わざわざお庭のお手入れを?」
「あぁそれは柊一の白薔薇を綺麗に咲かせたくてね」
正確には『柊一を俺の手で綺麗に咲かせたくて』だが。
含みをもって答えると、聡い女性のようで、あぁと納得したように口元を綻ばせた。
「私と柊一さんは幼馴染です。先生、何かお聞きになりたいことはございません?」
「えっ」
「例えば……柊一さんのお好きな事とか」
「ははっ参ったな。俺は……そんなに顔に出ているかい?」
「えぇそれはもう、だだ漏れですわ」
麗しい女性から、男性に懸想していることを指摘され、しかも顔に出ているとまで言われる始末……以前のオレには信じられないことばかりだ。
「ありがとう、君は素敵な女性だね。そして柊一の大事な幼馴染のようだね」
「えぇそうです。ここ数年の柊一さんの境遇の変化は見るのも辛い有様で……私はちょうど同時期に結婚し身籠り……しかも双子で、自分のことに精一杯で何もしてあげられなかったことを悔やんでいます」
「そうだったのか。だが柊一はもう大丈夫だ。俺がついているからね。この屋敷は間もなく息を吹き返すよ」
「まぁ素敵! 先生、柊一さんがお好きなのは、おとぎ話のような甘い恋の結末ですよ。不意打ちに心を躍らせる可愛らしい所もあって……私達は小さい頃そんな物語をよく読み耽っていました」
「それは耳よりな情報だ。ありがとう」
お礼をこめて片瞬きすると、女性は再び怪訝な顔になった。
「先生、あともう一つ忠告を。 柊一さんは初心な方です。ご存じかもしれませんが……だから今みたいな片瞬きを、他の人にしてはいけませんよ。あっ、でもいい刺激になるかもしれないですが、それは紙一重ですよ」
「参ったな。肝に銘じるよ」
「あぁ……もう起きてしまったわ。先生、ではまた……幸運を!」
泣きだした赤ん坊をあやしながら女性が帰って行ったので、俺も庭の手入れに没頭した。
刺激か……確かに少し刺激が欲しい位だ。
と、心の奥底で思いながら──
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