140 / 505

花の蜜 6

 柊一との二度目の口づけは、檸檬の味がした。  それは俺が今までしてきた、どんな口づけよりも爽やかで感動した。 『初恋は檸檬《レモン》の味』とは誰が言ったのか。  全くその通りだと、甘酸っぱい口づけに酔いしれながら思った。 「んっ……」  白薔薇の生垣が作る木陰で抱きしめた柊一の躰は、まだ少し小刻みに震えていた。なので名残惜しいが唇を離し、代わりに彼の素直な黒髪を指で梳いて、落ち着かせてやった。  一度に負担をかけて無理をさせたくないからな。 「震えているが大丈夫か」 「あ……はい」 「緊張しているのか」 「……あ、でも、少し慣れました」    柊一は逃げなかった。  俺を見上げた瞳は面映ゆい様子で、まだ揺らいでいたが、頬も目元も赤らんで初々しい色気が滲みだしていた。いつも澄ました君のこんな顔……俺以外の人に見せたくないと、こみ上げてくる思いは切実だ。  無性に愛おしさが募り、座ったまま彼を胸に深く抱きしめてしまった。 「あっあの……」 「美味しかったよ。ご馳走様」 「えっ」 「どうした?」 「いえ、礼儀正しいのですね。森宮さんって」 「ははっ、柊一に気に入ってもらえるように努力している」 「そんな」  本心だった。柊一と初めて口づけをして、過去に男女構わず遊び半分で交わしたものとは別次元だと悟ってしまった。  今は君を大切にしたいという気持ちで満ちている。それと同時に今までいい加減に生きてきた事を痛感した。 「あの、サンドイッチ……召し上がりますか」 「食べたいが」 「何か不都合でも?」 「食べさせてくれないか」 「えっと」  大の男が何を言うのかと思われたか。  キョトンと見つめる柊一に、土で汚れた手の平を見せてジェスチャーした。 「あっ、そうですよね。すみません。気づかなくて!」  彼の細い指が柔らかな白い食パンをそっと掴む。優雅な仕草で一口大に綺麗に切りそろえられたサンドイッチを、そっと俺に食べさせてくれた。具は優しい色合いの卵だった。  柊一は真面目な努力家だ。  料理なんて、両親が健在の頃は一切経験もなかっただろうに。  こんなに上手に作れるようになるには人一倍の努力が必要だったはずだ。切り傷やあかぎれだらけだった彼の荒れた手の理由が、今なら手に取るように分かる。 「あの、美味しいですか」 「あぁすごく。君は料理が上手だな」 「嬉しいです。実は最近、自分でも向いているかもと……そうしたらどんどん手際よくなって、特に今日は……」  そこまで一気に話した後、柊一がまた恥ずかしそうに俯いてしまったが、続きの言葉は気になった。 「今日は?」 「森宮さんが食べて下さると思ったら、とても楽しかったです。作っていて幸せな気持ちになりました!」  君は何て純真なのか。  愛おしさがこみ上げて三度目の口づけをもらいたくなるが、欲張り過ぎては駄目だと必死に自制した。  この先は、かなりの忍耐が必要になるだろう。  一度進めてしまえば止まらなくなるのは分かっていたのに、もらってしまった口づけは、どこまでも俺を魅了する。 **** 「ふふっ、兄さま、何か良いことがあったようですね」 「えっ?」 「だって、さっきからずっと頬が緩んでいますよ」 「そっそんなことない」  雪也に指摘されて、慌てて握っていた銀の匙に顔を映すと、ふにゃりと歪んで見えた。 「わっ! お化けみたいだ」 「兄さまってば、少し落ち着いてください」 「ごっごめん」 「僕は少し昼寝をしたので調子がいいです。お茶会にはお邪魔させてくださいね」 「当たり前だよ。雪也はいつも僕たちと一緒だよ」 「僕たちと? わぁ嬉しいです。兄さまには海里先生と幸せになって欲しいので」  どうやら……自然に森宮さんのことを考えてしまうようだ。  どんどん僕の日常に、森宮さんの存在が増してくる。  先ほど中庭《テラス》で、森宮さんと口づけをした。  生まれて初めて……しかも二度も続けて。  なんだかまだ唇に彼の感触を感じて、気恥ずかしい。  そっと自分の唇に触れ、彼の名残を探した。  参ったな。  ずっと色恋に縁遠い世界で生きて来たのに――    また欲しくなってしまう程、心地よいものだった。  知らなかった……  口づけがこんなにも美味しくて、恋しくなるものだなんて。  

ともだちにシェアしよう!