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花の蜜 12
ホテルと契約を結んだ柊一は、平日はレストラン経営の専門知識を学び、菓子作りの基本を専属菓子職人から学んだりと、レストラン開業メンバーの一員として働き出していた。
そんな訳で……頑張り屋の彼と平日はゆっくり会えなくなったので、週末になると、俺はいつも外に連れ出した。
映画を観たり美術館に行ったり……彼と過ごす時間はいつも楽しかった。
そして早い時間から夕食を取り、留守番をしている雪也くんに弁当を購入して帰るのが、俺達の逢引き《デート》の定番になっていた。
今日は日比谷公園で色鮮やかな薔薇を鑑賞し、その後、俺の行きつけの寿司屋に連れてきた。
カウンターに横並びに座り、特上のにぎりを頼んでやると、柊一は「お寿司は大好物です。ありがとうございます」と素直に礼を言い、頬を染めてくれた。
とこっろが暫しの歓談の後、柊一が言い出した事実に驚いてしまった。
「なんだって? では……柊一は瑠衣に手紙を書いて、そこに俺との関係を記したと? 全部……あからさまに?」
「はい、僕の大切な人に出逢ったと書きました」
とんでもない事を教えてもらい、掴んでいたマグロが、ポチャン……と、醤油皿に落ちてしまった。
「あっ……よかった。服には飛びませんでしたね」
柊一は一部始終を見て、くすっと微笑んだ。
可愛らしいが……いやいや……そこではない。
俺は柄にもなく動揺していた。
瑠衣に何度か俺だって話そうとしたが、その度に思い留まっていたのだ。
実は柊一の話は、以前から瑠衣にずっと聞かされていた。
当時の俺は小さな子供に興味を持てず、いつも適当に聞き流していたことが悔やまれる。どんなに柊一が可愛いらしい存在かを瑠衣は永遠に語っていたのに、勿体ないことをした。
もう10年以上前のことだ。
瑠衣がアーサーが置いて、ひとり英国を去った後……俺は人知れず泣いている瑠衣が気の毒で、何度も電話した。
『でもね……海里、僕は日本で救われたよ』
『何に? まさか、もう他にいい奴でも?』
『もう……海里は単純だね。それが君のいい所でもあるけど……僕はもう、そういう事は求めていない。実は勤め先のご子息がとても可愛らしい方でね』
『へぇ、どんな子だ?』
『真面目で賢明に生きている姿を応援したいし、内に隠してしまった可愛らしい部分も大切に守ってあげたくて』
『それは勤め甲斐あるな』
『名前は……柊一様と言うんだ。彼の成長をずっと見守っていきたい』
『……人の幸せだけでいいのか。お前自身は?』
『……僕の幸せを託したいお子様だよ。柊一様は』
そんな会話を交わした事を思い出すと、瑠衣が大切に育てた子を俺が全部もらっていいのかと自信がなくなってしまう。
「あの……いけなかったですか。森宮さんの事を勝手に書いたのは」
「いや、そういうわけでは」
「そういえば、もうとっくに手紙は着いているはずですが、瑠衣から何か連絡はありませんでしたか」
「いや、ないな。そういえば最近連絡をしていない」
「そうですか。驚かせてしまったのかな。返事、僕にもなくて──」
上品な所作で寿司を綺麗に食べ終わった柊一が、ジャケットにしまっていた時計を付けなおした。
「ところで、なんで時計を外した?」
「森宮さんと過ごしているので食事中は時計は必要ないかと……あと、とてもよい一枚板でしたので、傷付かないように」
「あぁなるほど」
確かに今日連れて来た店は、銀座の中でも高級店だ。
カウンターに座る時は腕時計やブレスレットを外すのがマナーだったな。高級寿司屋のカウンターは高級な一枚板で作られているので、そこが傷がつくことを非常に嫌うそうだ。だが俺は面倒くさくて外したことはなかった。
「もしかして……僕は瑠衣を傷つけてしまったのかも」
柊一はこんな風に、いつも周りに気を配る繊細な青年なのだ。
「いや、俺の方こそ」
「あの、森宮さんと瑠衣のご関係って……ご友人ですか」
「うむ……」
どこまで何を告げたらいいのか。
本人の了解を得てからでないと……俺達の関係や瑠衣の素性は明かせないだろう。
「あっ、そろそろ帰らないと」
時計の針は19時だ。
「あぁほらこれを持って」
「あっお寿司ですか。ありがとうございます。雪也も喜びます」
「さぁ帰ろうか。家まで送るよ」
「ですが、いつも申し訳ないので、今日は電車で帰ります」
いつまでも遠慮がちな君の心遣いが、今は憎いな。
「どうして俺がいつも送るのか知っているくせに、それを言うのか」
「あっ……」
「君のここをもらうためさ」
柊一の唇にトンっと指先で触れると、彼は酒を飲んでいないのに、顔を真っ赤にしてしまった。
「君の屋敷の中庭が好きだ。最後にあそこを散歩しよう、いいね?」
「……はい」
屋敷に送り届けても、すぐには帰さないよ。
ふたりで月を浴びる中庭《ガーデン》を散歩し、白薔薇の生垣の片隅で唇を重ねよう。
それが、ふたりだけの秘密の約束《Promise》だから。
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