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花の蜜 16
「あの、雪也さまもお元気ですか」
瑠衣に問われて、ハッとした。
「そうだ! 雪也の元に早く戻ってやらないと」
雪也はずっと一人寂しく留守番をしているのだ。雪也も慕っていた瑠衣に早く会わせてやりたい。どんなに喜ぶだろう。
「瑠衣、早くっ、早く、雪也の所に行こう!」
気が付いたら……僕は瑠衣の手をグイグイと引っ張っていた。
「おっ落ち着いて下さい」
「でも、待ちきれないんだ!」
いつの間にか……まだ僕の世界がこの屋敷と庭園しかなかった頃のように、高揚した気持ちになっていた。
ここ数年間……藻掻き苦しんでいたのが嘘のように、僕の心は澄み渡り、晴れていた。
****
驚いたな。まさか俺の目の前で、アーサーが瑠衣に接吻するなんて。
おいおいっ母親が違うとは言え……瑠衣は俺の大事な弟なんだぞ!
俺が柊一に同じことをしたのを棚に上げ……瑠衣を見世物にするなと最初は怒りたい気分だった。だが動揺していた瑠衣が次第に感じ出しているのが伝わってきて、胸が震えた。
瑠衣……お前、本当にアーサーに深く愛してもらっているんだな。
遠い英国でお前たちが出逢い、最初は戸惑っていた瑠衣が……心を開き愛を深めていくのを、すぐ傍でずっと見守った。
そんな瑠衣がアーサーを置いて、家のために一人寂しく日本に帰国していく背中を……当時の俺はただ見守ることしか出来なかった。
瑠衣が……日本に帰ってからは仕事に徹し、アーサーの記憶を封印したことも知っている。
だからこそ、もう二度と離れないで欲しい。
そんなお前たちが揃って瑠衣の生まれ故郷の日本にやってきてくれ、今、目の前にいる。そして深く愛しあっている姿を見せてくれた。
俺にとっても……信じられない程、嬉しいことだ。
「やれやれ瑠衣は、すっかり執事モードになってしまったな」
「まぁしょうがない。この屋敷は瑠衣にとっても故郷のような場所だ。二人の子供を、瑠衣はずっと手塩にかけて育ててきたので、思い入れがあるのだろう」
「あぁいつも瑠衣は話していたよ。英国に来ても、たまに遠くを見つめていることがあった。そういう時は必ず甘めのミルクティーをいれて飲んでいたよ」
「それは柊一の好きなものだ」
アーサーにガシっと肩を組まれる。
「おいっしかし海里、君もやるな。いつの間にあんなに可愛らしい白雪姫と恋に落ちたんだ?」
「さぁいつからだろう? 気が付いたらもう……止まらなかった」
「いつもふらふらしていたお前も、とうとう真実の恋を知ったのか。あの子……いい子だな。真っすぐで綺麗な瞳だった」
「ありがとう。俺達もそろそろ中に入ろう」
「あぁそうだな」
アーサーは、俺にとって盟友だ。
闘病生活はとても苦しかったと聞くが、瑠衣が傍にいてくれたので乗り越えられたのだろう。
病に打ち勝った躰は、落ちてしまった筋肉を徐々に取り戻し、前回会った時よりも更に逞しくなっていた。
この躰なら大丈夫だ。
瑠衣を任せたぞ──
****
それは感動の対面だった。
「瑠衣……瑠衣じゃないか!」
「雪也さま」
途端に雪也の瞳からボロボロと大粒の涙が零れ落ちた。瑠衣は泣きじゃくる雪也を、ギュッと胸元に抱きしめてくれた。
「お会いしたかったです。私の小公子……」
「本当に瑠衣なの? るい……ルイ……ひっく……うっ……うっ」
雪也もずっと我慢していた。
僕に心配かけまいとひとり耐えていたものが溢れ出したのだろう。
「あぁ、こんなに背が高くなられて。あれから二年でしょうか……成長されましたね」
「瑠衣、どうして急に……どうして来てくれたの? ずっと会いたかったよ」
「遅くなって申し訳ありません。ご両親様のこともお悔やみ申し上げます」
「瑠衣、兄さまは頑張りましたよね。僕は兄さまがいて下さったから、頑張れました」
「そうですよ……柊一様が頑張ってくださったのです」
え……瑠衣も雪也も、僕のことをそんな風に言ってくれるのか。
僕は結局何も出来なかった。役に立たなかったのではと自己嫌悪していたのに、違うのか。
ちゃんと雪也のことを、この家を……守れた?
雪也と瑠衣がそう思ってくれたのが、無性に嬉しかった。
「兄さまもこちらにいらして下さい!」
「柊一さま、さぁ」
ふたりが手を広げてくれる。僕を呼んでくれている……
「柊一も行っておいで」
森宮さんにトンっと優しく背中を押してもらた。
僕も瑠衣と雪也の輪の中に入れてもらう。
雪也が生まれ、兄になってから……我慢して踏ん張っていた鎧を置いて。
「柊一さまがいて下さって、良かったです」
「兄さまがいて下さって、頼もしかったです」
欲しかった言葉に報われていく。
あの日の屈辱も蔑みも……綺麗に浄化していく!
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