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花の蜜 17

 柊一さまが躊躇いながらも、僕の胸に飛び込んで来てくれた。  幼い柊一さまに今は亡きご両親が願われたのは、冬郷家の跡取り、経営する会社の跡取りとしての帝王教育だった。  特に弟の雪也さまが心臓病を抱えて病弱だった事もあり、その期待は長男である柊一さまに重く圧し掛かったのだ。  だから僕はもうずっと……こんな風に抱きしめてあげることも、優しい言葉をかけることも……成長されるにつれて出来なくなっていた。  そっと柊一さまの濡れ羽色の黒髪を、久しぶりに撫でてあげた。  綺麗な頭の形……利発で清楚な小さな柊一さまを思い出す。 「うっ……瑠衣……」 「柊一さまはご立派です。この家を守り抜きました。お兄様としても頑張りました」 「あっ……本当に? 本当にそう思ってくれるのか」 「もちろんです。あなたは立派に冬郷家の当主として、ここに立っています」  まだ少年の面影が残る薄い肩が小さく震える。  僕がこの家を去った時の柊一さまは、まだまだご両親の庇護下で暮らす、世間知らずの御曹司だった。  そんな高貴な生まれの方が一度に何もかも失って、その後どんなに憂き目に遭い、どんな蔑みを受けたのか、計り知れない。  だが……今、僕の胸の中で泣く姿は、少しも穢れていなかった。  その事に安堵した。 「森宮先生が助けてくれたんだ。絶望の淵で……僕と雪也をに手を伸ばしてくれて」 「そうだったのですね」 「瑠衣……僕は……森宮さんのことを」 「はい……」 「愛しているんだ」 「分かります。伝わります。柊一さまは初めての恋を知り、真実の愛を手に入れたのですね」    柊一さまが切実な表情で、僕を見上げた。  潤んだ瞳は光の加減で可憐な菫のように輝き、以前の感情を押し殺した様子とは違って……溢れんばかりの情熱を放っていた。  柊一様の中に芽生えた恋心が、彼に奥行きを持たせたようで、匂い立つような美青年ぶりだ。  もともと綺麗なお顔立ちだったのに、暫く見ないうちに、このような表情も出来るようになったとは……感慨深い。  本当は雪也さまよりも繊細で、誰よりも想像力豊かで、おとぎ話を好むような可愛らしいお子様だったのに、僕は途中でそれを取り上げてしまった。  柊一さまの方も責任感が強く使命を全うするために、自らそれを切り捨てた。    あの日ふたりで書庫の上にしまった本は、どうなったろう。  先程……海里から口づけを受ける柊一さまを薔薇の陰から見た時、その本の挿絵をふと思い出した。  二人はまるでおとぎ話の主人公のようだった。 「瑠衣が来てくれて嬉しかった。本当は手紙でなく直に伝えたかったんだ。僕の相手のことを」 「相手が海里だとは驚きましたが、海里なら安心なのかもしれません」 「あの……瑠衣と森宮さんは……もしかして血がつながっているのか」  驚いた。  海里も僕も……まだ一言もその事には触れていないのに。 「何故……それを」 「今、瑠衣に抱きしめてもらって感じたよ。ここで」    トンっと柊一さまはご自身の心臓に手をあてて、微笑まれた。 「顔は全然違うけれども、二人に同じルーツを感じた」 「……本当ですか」  柊一さまの言葉は魔法《Magic Words》だ。 「ありがとうございます。気が付いて下さって嬉しいです。海里とは異母兄弟なんですよ」 「そうだったのか。僕は本当に疎くて……瑠衣と雪也が……森宮さんと僕を結び付けてくれたのに」 「よかったのか、悪かったのか。私と同じ道に……」 「瑠衣、恥じることはない。心が赴く方向に僕たちは進もう!」    柊一さまはやはり冬郷家のご当主だ。  迷いがない、潔い。  僕にはなかった静かな意志と光を持っている。 「違うよ……瑠衣がまっすぐにアーサーの元へ旅立った背中を見送ったから、迷いがないんだ。瑠衣は僕の道しるべだよ」 「もったいないお言葉です」  人は何を探して、何を求めて生きているのだろう。  どこが出発で、どこが目的地なのかもわからない曖昧な混濁した世界に生きているからこそ、愛が存在するのか。 「瑠衣……僕はまだ世間を知らない。学ぶことだらけだ……でも森宮さんが夜空に輝く北極星《Polaris》のように僕を照らしてくれるから、頑張れるよ」 「はい……」 「彼を愛していく」

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