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花の蜜 35
銀座四丁目の交差点にある、由緒正しき石造りの宝飾店の前でハイヤーを降り、店内に入った。
「うわぁ……兄さま、ここ、懐かしいですね」
「うん、そうだね」
ここは亡き両親の御用達の店だった。
足元にはふかふかの赤い絨毯が敷き詰められ、よく磨かれたガラスのショーケースには国内外の腕時計や宝飾品、陶磁器や鞄など高級装飾品がずらりと並んでいる。
「へぇいい店だね。気に入ったよ」
「良かったです。ここならアーサさんの御眼鏡に適うのでは」
「あぁ、ありがとう」
瑠衣に贈る指輪は、最初は僕たちが選んで買おうと思ったが、やはり生涯の伴侶に選んでもらうのが最適だろうという結論に至った。
アーサーさんは流石、英国貴族だけあって、堂々と歩きまわる姿も品格があり、すぐに店員も一目置く存在になっていた。
早速、結婚指輪のショーケースを、熱心に見回っている。
「この結婚指輪《WEDDING RING》を見せてくれ」
「畏まりました。男性用ですか。女性用ですか」
「男性に贈る」
「畏まりました」
ハイクラスの人が行き交う上流な店では、客の買い物には干渉しないので、安心だ。顔色一つ変えずに丁寧に応対してもらえ安堵した。
「柊一くん、瑠衣のサイズは?」
「はい、内径が17.0mmでした」
「では13号ですね」
「そのサイズの指輪を出してくれ」
僕と雪也が見守る中、アーサーさんが選んだのは小さなダイヤモンド1石が真ん中に埋め込まれたシンプルな直線の指輪だった。
「これがいいな。そうだな。つけた感じが見たい。柊一くん、ちょっと試してもらえるか」
「あっ僕でよければ。でもサイズが合うか分かりませんよ」
「見た感じ……瑠衣と同じ位だが」
「で、では失礼します」
「ははっ、相変わらず君は固くて可愛いね」
緊張しながら店員さんに指輪はめてもらうと、しっくりと指に馴染んだ。
「あ……サイズ、ぴったりでした」
「そうか、では君も13号なんだな」
「みたいですね。自分の指のサイズなんて知りませんでした。本当に着け心地がいいです」
指を締め付けない負担のない装着感。
見えない部分まで丁寧に磨きをかけた上質な指輪は、アーサーさんを十分に満足させたようだった。
「俺も気に入ったよ。じゃあこの13号と俺のサイズをペアで頼む」
「あの、お代は僕たちが」
僕と雪也で企画したことだ。
瑠衣のためなら財産を売ってもいいと思っていた。
「大丈夫だよ。その代わり……君たちにはガーデンパーティーの準備をして欲しい」
「ですが」
「うーん物足りない? じゃあ一つ頼まれてくれるか」
「はい。ブーケを用意してくれ。庭に咲く白薔薇のブーケがいい」
「あっはい。分かりました!」
「じゃあ勘定をしてくるから、少し待っていて」
アーサーさんの買い物が終わるまで、僕も指輪のショーケースを眺めた。
「兄さま、何かいいものがありました?」
「ん……これ素敵だね」
「どれですか」
「この3つ小さなダイヤが並んでいるのがいい」
「あぁ優し気で……兄さまらしいですね」
僕が指さしたのは、U字のカーブがなだらかな指輪。
中央の窪みにダイヤモンド3石が仲良く埋め込まれていて、その一粒一粒がキラキラと輝いていた。まるで森宮さんと僕と雪也が並んでいるみたいだ。
って、何考えているのだか。
僕ひとり……先走って恥ずかしい。
「 なるほど、柊一はこういうのが好きなのか」
「えっ」
突然隣に立った人に声を掛けられて、驚いてしまった。
だって淡いベージュのスーツを見事に着こなした美丈夫は……!
「もっ森宮さん! なんで」
「今日は休診日になってね。アーサーに呼び出された」
「び、び、び……びっくりしました」
あまりに動揺して舌を噛んでしまった。カッコ悪い。
「おいおい、そんなに驚くな。まるで幽霊でも見たような顔をして」
幽霊だなんてとんでもない。大天使のように神々しいのに!
「俺に会いたくなかったかい?」
「違うんです。今日お会いできると思っていなくて……」
「嬉しい?」
「はい」
「聞いたよ。日曜日に瑠衣を驚かせる計画していると。そこに俺も混ぜてくれないか」
「もちろんです!」
森宮さんが甘く微笑むと、店内が色めき立った。
こんなに素敵な人が僕を愛してくれている。
そのことがしみじみと嬉しくなる瞬間だ。
「やぁ海里、間に合ったな」
「あぁ、なんとか」
アーサーさんと森宮さんがじゃれ合うように肩を組み、何やら耳元で囁きあうと、店内に黄色い歓声がどよめき渡った。
高級店の落ち着いた雰囲気の女性店員も、二人の魅力には理性を失ってしまったようだ。
「くすっ、兄さま、おふたりはイケナイ雰囲気ですね」
「コラっ雪也は……まったく何を言うのだか」
「ごめんなさい。でも森宮さんがいらして下さって良かったですね」
「うん、嬉しいよ」
素直に弟にも認めた
そうだ、とても嬉しい。
好きな人に会える。
自由な時間を共に過ごせる。
ただそれだけのことが、本当に嬉しくて堪らない。
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