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花の蜜 39

「おらおら、さっさと歩けよ!」 「いいか、店内では大人しくしていろよ。弟が大事なら」    肩を不自然にがっしりと組まれ、嫌悪感が募った。  煙草と安い酒がこびりついた元同僚の体臭には、吐き気を催す。  森宮さんからはいつだって上質なオーデコロンの香りが控えめに漂い、優美な気持ちになれたのに……もう絶望的だ。    ねちっこく腰に手を回され、目の前が真っ青になる。   「そこに……触れるな」  そこは……ついさっき森宮さんが優しく触れてくれた場所だ。 「へぇぇ、この後の及んで何気取ってるんだよ。じゃあこうしてやる!」  真正面から腰を掴まれ、強く抱かれた。爪先が浮くほど引きせられ、蛸みたいに尖らせた分厚い唇が、僕にじりじりと近づいてくる。  顎をすごい力で掴まれているので、首を振って避けることもままならない。  恐怖……絶望!  逃れたいのに逃れられないっ!  汚される……穢されてしまう!  こんな奴に見せる涙はない。  絶対に泣くものか。  必死に歯を食いしばるが……熱いものが目尻に浮かんでしまう。  僕の唇は、僕の躰は――  全部、森宮さんのものなのに。 **** 「海里、気づいたか」 「あぁアーサーもか」  さっきからずっと不穏な視線を背後に感じ、よからぬ輩に尾行されている事に気づいていた。   「標的《target》は、俺たちではなかったな。まさか柊一くんか」 「あぁ近くで見て分かった……見覚えのある顔だ。今度こそ二度と近づけないように制裁したい」 「All right.」  アーサーが軽く口笛を吹けば、黒いスーツの大柄な男二人がどこからか現れた。いつの間に身辺警護《ボディガード》を雇っていたのか。流石アーサ-は英国の名門貴族だと納得した。  アーサーは慣れた様子でボディガードに何やら耳打ちしてから、俺に問いかけた。 「海里、あいつらは現行犯逮捕がいいだろう?」 「あぁ、そうしたい」 「ギリギリの所で踏み込むから、海里はしっかり柊一くんのアフターケアをしてやれ」 「分かった」  ちょうどその時、雪也くんが疲れてしまい、柊一と甘味屋で待つことになった。俺たちは一旦外に出て、観光に出る振りを見せ、その後すぐに舞い戻った。  胡散臭い男たちは、やはり柊一の元同僚で、あの日路地で柊一に難癖をつけていたよからぬ輩だった。  今度は一体何を求めてくるつもりか。  柊一は俺にまだ話せないようだが、相当陰湿な虐めを社内で受けていたようだ。それでもそこで働かなくては行けなかった柊一の屈辱、苦悩を思えば、もう二度と外で働かせたくないと俺が願うのも無理はないだろう。  君は生まれながらの御曹司、貴公子で、けっして穢されてはいけない夜空の星のように高貴だ。    その星を手に入れる約束を交わしたのは、この俺だ。  俺の柊一に手を出す奴は許せない!  殴って、蹴飛ばして……滅茶苦茶にしてやりたいが、柊一はそれを望まない。  ならば法的手段で切り離すまでだ。待っていろ!    ボディガードが無線で警察を呼び寄せ、店内に侵入する。    化粧室に柊一が入ると、すぐ後に続いた男が二人。  卑屈な笑みを湛え、辺りに不穏な空気が立ち込める。  俺の柊一に、何をするつもりだ。  くそっ! もう待てない。  こうやっている間にも君が酷い目に遭っていないか、心配で堪らない。 「まだか! まだ踏み込めないのか。中にいるのは、俺の大事な人なんだぞ!」  慎重に無線でやりとりする警官とボディガードに、我慢出来ずに詰め寄った。

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