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花の蜜 42

 参ったな。  柊一の浴衣姿が楚々とした美人過ぎて、直視できない。    俺が彼のために選んだ浴衣は白地に細かな格子模様で、帯は濃い紺色に献上柄だった。清楚で清流のような美しさ。細い腰、薄い胸板、たおやかな和風美人な雰囲気が溜まらないよ。 「も、森宮さん……あの、僕の浴衣姿、そんなに変ですか、似合っていませんか」 「えっ?」  柊一は至って真顔だった。 「その、僕はあなたに比べたら背も低いし、躰を鍛えても筋肉が付きにくいようで、いつもこんなに細くて情けないのです。もっとあなたの横に並んでも引けを取らないような魅力的な人間になりたいです、どうしたらいいのか、それも……あのレッスンと合わせて教えていただけませんか」  おっ……おいおい、全く見当違いなことを。  そもそも今、目の前にいる君が魅力的過ぎて困っているのだが。これは正直に伝えないと理解してもらえなさそうだと苦笑してしまった。 「柊一の今の姿が良すぎて、目のやり場に困っていたのだ」 「えっ……」  柊一がさっと頬を染めるから、俺まで躰中が火照ってしまうじゃないか。  恥じらうように君が目を伏せれば、黒く長い睫毛が横顔にしっとりとした陰影を生み出す。和風美人だな。いつまでも見ていたくなる人だよ。 「とても綺麗だ」  素直に言葉に出してそっと伝えると、柊一は、はにかんだように笑った。  今日は君にとって忙しい1日だったな。でも今こうやって穏やかな時間を過ごせているのなら、すべて帳消しだ。 「あの……そろそろ食事を取りませんか」 「あぁそうだな」  自分たちの世界に入り過ぎていたかと慌てて辺りを見渡すと、ちょうど屋形船は隅田川を下り、台場付近に停泊していた。瑠衣が機転を利かせてくれたお陰で、屋形船が貸し切りなので気兼ねなく過ごせて最高だ。  揚げたての天ぷらが机の中央に山盛り並んでいるのが見え、一気に食欲が湧いてきた。  もぐもぐ……パリパリ……  浴衣は窮屈だと嫌がって甚平を着た雪也くんが、天ぷらを美味しそうに音を立て頬張っていた。 「よく食べるね。美味しいかい?」 「はい、とても! 海里先生もいつまでも兄さんを見つめていないで、お腹も満たした方がいいですよ、そうしないと後で元気出ませんよ~くすくす」 「ははっ、これは一本取られたな」  心臓病で発育が少し遅い雪也くんだったが、最近はようやく成長期になったようで、とにかく細い躰でよく食べる。  今は柊一とよく似た優しい面持ちだが、もう数年も経てば柊一より男らしくなるかもしれないなと、彼の明るい未来を予想した。  絶対に君を大人にしてやるからな。  手術に向けて頑張ろう!  そう密に胸に誓った。  柊一の手を引いて座布団に座ると、柊一も目をキラキラと輝かせていた。  両家の子息として贅を尽くした食事なんて、もう食べ飽きているのではと思ったが……今の柊一は一つ一つ、目の前のことに素直に感動してくれる。  そうか……君は、元々素直で謙虚なのだ。  零落れたからではなく、最初からそういう性質の子なのだ。  彼の感動はけっして作られたものではなく、自然に湧き上がるものだ。  人工的な笑いや人工的な美の世界で生きてきた俺には、君のその当たり前だが、化粧をしていない素の顔立ちも、変な香水をふり撒いていない優しい匂いも……硬い髪留めなどで飾り立てていないサラサラな黒髪も……全部、好きで堪らない。 「わぁ穴子ですね。江戸前の穴子は大好きです」 「そうか。沢山食べろ」 「あの……そういえば、瑠衣たちは?」  柊一がキョロキョロと辺りを見回した。 「兄さま、さっきお二人はお外に行かれましたよ。この屋形船の天井には展望台がついているらしいですよ」 「そうなんだ。でも……お腹空いていないのかな」 「いやだな。兄さまと海里先生が長いこと見つめ合っている間に、もう沢山食べていましたよ」 「えっそうなの?」  参ったな。眼中にないとはこの事を言うのか。  あいつらのこと……まったく目に入っていなかった。  ずっと気にかけていた弟の瑠衣が、アーサーに尽くされ、愛されている姿を既に腹いっぱい見たせいか。 「今頃きっと……上でデザートを食べていますよ」  おいおい雪也くん? 君は耳年増過ぎるな。柊一をそう虐めるな。 「デザート? 食後のデザートは何だろうね。雪也の好きなアイスクリームかな。雪也は何味がいい」 「くすっ、兄さまは甘いですね」 「え? 僕は舐めても甘くないが」  困惑した柊一の顔が可愛くて、もう我慢できない。    思わず抱きしめてしまった。 「も、森宮さん離して下さい!」 「ほらっやっぱり甘そうです」  雪也くんは俺たちの様子を見て、幸せそうに笑ってくれた。 「兄さまが幸せそうで、本当に嬉しいです。相手が海里先生で本当に良かったです。先生、今日も兄さまを守って下さって、ありがとうございました」 「可愛いことを、おいで」  ペコっと頭を下げる雪也くんが可愛くて、俺の腕の中にまとめて抱き寄せてしまった。 「俺は……君たち兄弟が大好きだ。ずっと守る、ずっと一緒に暮らしていこう!」  出航はまもなくだ。  ますます、その覚悟が高まっていく!

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