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花の蜜 44
「さぁ練習《Lesson》を始めようか」
「はい……よろしくお願いします」
月下の夜の庭《 Night Garden》なら、柊一は安心して俺に身を任せてくれる。
言葉は魔法《Magic》だ。
君を縛るのではなく、解き放つ魔法だ。
「柊一……」
「森宮さん」
「座ろうか」
「はい」
中庭のテラスの白いベンチが、俺たちの定位置になっている。
今宵はアーサーも瑠衣も気を利かせてくれ、先に部屋に戻った。雪也くんも、ふたりに任せた。
皆に甘えてしまったが、今日の俺には……この時間が大切だった。
真新しい服を着た君は、いつもにも増して清楚上品に、しっとりと輝いている。気品ある君と由緒正しきこの洋館を守ると、何度でも誓いを立てたくなるよ。
「もう大丈夫か」
「はい、あれからずっと傍にいてもらいましたので、安心しています。でも……どうして僕は、いつも人から疎まれてしまうのでしょうか」
柊一が、寂し気に夜空を見上げる。
「確かに生きていると、突然難癖をつけられることがある。何もしていないのに窮地に追い込もうとする輩もいるだろう。だが『生きる』って、そう言う事を多少なりとも含んでいるよな。だから疎まれてしまうなどと、寂しい事は言うな。理不尽なのは……世の常だ」
柊一に何かを伝えたくて言葉を探すが、どうも上手く励ませないのが、もどかしい。
「……僕は生まれてからずっと恵まれすぎていたのです。両親が生きていた頃は当たり前のようにそれを享受して奢っていたのです。だから、そのツケが回っているのだと思い、何もかも受け留めて来ました」
切ないことを言うんだな。
瑠衣に話を聞いても、君の今の姿を見ても、そんな風に思ったことなど一度もないのに。
「でも……」
柊一の顔が一層思い詰めた切ないものに、ますます変化してしまった。
「柊一、会社で一体何があった? 独りで抱えていないで話してくれないか。俺にだけは」
「……森宮さんに?」
「あぁそうだ。俺と君だけの秘密《Secret》だよ。汚された日々があったのなら、ここで吐き出せ。もう外に出せ。ここに置いて、庭の白薔薇に浄化してもらえ」
影日向がない君の優しい心根を知っている。だからそんな君が理不尽な想いをした悲しみや苦しみを、いつまでもひとりで抱えていると思うと、俺が苦しいんだ。
今まで生きてきて……誰かの苦しみを背負いたい、分かち合って欲しいと願ったことなど殆どなかった。瑠衣以外では……
「もう耐え忍ばなくていい。そんなに歯を食いしばるな。踏ん張るな」
「ですが……」
「言葉は魔法《Magic》だ。君を縛るのではなく、解き放つ魔法だ」
さっき、ふと浮かんだ言葉が意味を成す。
「……慣れない職場は、耐え難い日々でした。行きたくないと朝になるといつも思っていました。でも僕には生活がかかっていたので、生きていくために、耐え抜く覚悟でした」
「何があった? あいつらに今迄にも相当な嫌がらせを受けていたんだな」
「彼らだけではありません。僕はあの会社では見世物のように扱われて、何をしても難癖をつけられ、上司からはどんなに努力しても少しも認められずに書類や水を頭から何度かぶった事か。同僚からは更衣室で、毎日のように虐められていました。すっすみません。こんなことあなたに告げても心配させるだけなのに」
膝の上に置いた彼の指が、真新しいベージュのチノパンをキュッと掴んだ。
指先が白くなっている。よほど辛い思いをしたのだろう。君はずっとひとりでこの薄くて細い肩で耐え忍んでいたのか。
「……更衣室で何をされた?」
「うっ……屈辱的でした。だ……男娼と言われたり、着替えのシャツを隠されたり……うっ……裸になれと強要されたりもして」
なんだって!
クソッ──あいつら本気で許せない!
「大丈夫だ。もう大丈夫だ! 俺が傍にいる限り、二度と君に指一本触れさせないからな」
「……森宮さん」
どんなに汚されても、汚れない……清らかな君の瞳。
淡く開いた唇を吸い上げていく。
重い告白に疲れ果てた柊一が、俺に寄り添ってくる。
君のその気怠げな雰囲気にも色香が潜んでいる事を、知っているのか。
彼の手を取り、立たせた。
この世の悲しみから守るように大きく包み込んだ。
「ちゃんと吐き出せたな。もう外に出した嫌な過去は……二度と体内に戻すな。もう捨て去れよ」
「……ですが」
「君の中に戻って来られないように、俺が塞いでやる」
念入りに柊一の唇を舐め、それからぴったりと塞いでやった。
「あっ」
暫くはただじっと唇を合わせ、徐々に馴染んできたのを見計らって、唇の隙間から中へと潜り込む。まだ下では繋がっていないが、口と口では、こんなにもしっかりと繋がることが出来るようになった。
「はっ、う……うう」
口づけに耽っていく。
どこまでも──
互いの口腔内に、舌を抜き差ししていく。
柊一も俺が教えたことを積極的に吸収して実践してくれる。
こんなに激しい口づけをしたことがあったろうか。
獰猛なまでに、時間をかけてじっくりと求め合ってしまった。
「……んぅ、……っ」
唇を合わせたまま柊一が、一際大きくあえやかな呻き声をあげた。
君の顎を伝う唾液を追いかける。
首筋が弱いのか、柊一が更に過敏に震えた。
「ああ、あっ──んんっ」
その後、躰全体を一瞬ビクビクと痙攣させた。
もしかして……
「柊一もっと気持ちよくしてやろうか」
「あっ、駄目。今は駄目……あっ……どうしよう」
そっと俺は柊一の下半身に手を伸ばし、ズボンの上から手をあてて確認した。
「もしかして、今、イッたのか……」
「いっ……イクって?」
柊一は俺の胸に頭をつけたまま、俯いて何も言わない。
ただただ……彼の耳が真っ赤に熱を帯びていく。
「可愛い、君の躰に触れていいのは……永遠に俺だけだよ」
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