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花の蜜 48

「瑠衣、何を探しているの?」 「雪也さまは入ってはいけませんよ。ここは埃っぽいですから」  柊一さまの許可を得て、僕は前のご当主、つまり柊一さまのお父様の部屋の掃除していた。必要な書類、そうでないもの。10年以上側近として住み込みでお仕えした僕だから、瞬時に分かることがある。  僕がこのお屋敷にいられる時間は残り三日。    その間に出来ることはしていきたい。  今度こそ心残りのないように。  雪也さまがつまらなそうなお顔をされたので、どうしたものかと思案していると、柊一さまがいいタイミングでいらして下さった。 「雪也、アーサーさんが呼んでいたよ」 「アーサーさんが?」 「うん、英語を教えて下さるって」 「わぁ本格的な|英国英語《Queen's English》ですね」 「そうだよ」 「嬉しいです。僕、アーサーさんのお部屋に行ってもいいですか」 「あぁ、でも廊下は走ってはいけないよ」 「はーい!」  ふかふかの絨毯を、雪也さまはゆっくり歩きだした。 「柊一さま、ご一緒にいいですか」 「もちろん手伝うよ。瑠衣が来てくれて助かった。正直、お父様のお部屋をどうしたらいいのか、ずっと迷っていて」 「これからは、この執務室は柊一さまの物ですよ。あなた様が、この冬郷家のご当主なのですから」 「う、うん」  そのためにも、一新しなくてはいけないと思った。  もうお父様はいない。  もう経営されていた会社はない。  この屋敷は森宮家が経営するホテルの傘下に入るのだ。といっても全部明け渡すわけではない。ちゃんと冬郷家は遺す。そのためにも柊一さまには頑張っていただかないと。 「瑠衣、こうやって僕はこの家を引き継いでいくのだね」 「そうですよ。日曜日にはその儀式も内輪でしましょう」 「わかった。瑠衣に見て欲しいよ」 「えぇ全部見届けてから、英国に戻ります」 「頑張るよ。本当に日本にやって来てくれてありがとう。でもやっぱり寂しいね。こうやって一度会ってしまうと別れが」  柊一さまの書類を持つ指先が少し震えていた。  間もなくやってくる別れを、心から惜しんで下さっている。  「人生に別れはつきものですよ」    人が手に持てるものは限られていて、必死にそれを守っているだけでは、成長できないのだ。柊一さまとのご縁もその一つ。僕が離れることで成長され、柊一さまの人生がより豊かになると信じている。 「瑠衣、ありがとう。僕を過保護に育てなかったお陰で何とか頑張れそうだよ。この家を後世に繋げるよう、雪也と力を合わせて頑張っていくよ」 「頼もしいお言葉です。柊一さまはご立派に成長されました。これで心残りがなくなります」  柊一さまの不安は拭えたようで、ようやく微笑んで下さった。  柊一さまが雪也さまの様子を見に行ったので、僕は一人残って、そのまま書斎の引き出しを整理していた。すると一番下の引き出しから、黒くて大きなカメラが出て来た。 「あっこれは」  たまに旦那さまが休日に持ち歩いていたものだ。  これでお二人の息子の成長を以前はよく記録していたと仰っていた。  撮られた写真も、どこかにあるのでは?    書斎の引き出しは全部確認したが、見つからなかった。  その代わり、小さな鍵を見つけた。 「鍵? どこの鍵だろう?」  執務室中を確認し、そこから続く主寝室へと足を踏み入れた。  ここに入るのは初めてだ。 (旦那様、奥様。失礼いたします)  黙礼してから入室し、埃を被った寝具を退け、家具を慎重に確認した。 「ここかもしれない」  とうとう鍵穴と鍵が合致した。  奥の夫婦の寝室の壁際の戸棚に、それはあった。  埃を被っていたが、10冊のアルバムが綺麗に並んでいた。  1冊手に取って、頁を捲ると……    まだ僕がこの屋敷に来る前の柊一さまがいらした。  僕は柊一さまが10歳の時にこのお屋敷に雇われたから、見たことのないあどけないお姿だった。  朗らかに笑う幼い柊一さまの、泣いているお顔、膨れているお顔、いろんな表情が万華鏡のように広がっていた。  アルバムには柊一さまが生まれてからの歩みが、特に多く残されていた。    ご夫妻にとって初めてのお子様で、しかも待望の男の子。    跡取りとしての教育が本格的に始まるまで、溺愛されていたと伺っていたが、まさにその証だ。  この戸棚の鍵は、日曜日にお渡ししよう。  どんなにお喜びになるか。    海里とこの喜びを分け合って欲しい。  しみじみと鍵を手のひらにのせて願っていると、突然後ろから抱きしめられた。  振り返らなくても分かる。  この体格。  この香り、この手。  僕のアーサーだ。 「んっ、どうした?」 「瑠衣が不足して倒れそうだったから来た」 「いい子に待つのでは?」 「せめて少しの口づけを」  屋敷の奥、日の当たらない家具の陰に僕は寄せられ、愛しい君から口づけを受ける。 「んっ……」 「瑠衣、どうした? 少し寂しそうな顔をしているな」 「そんなことはない」 「髪に埃をつけて。これではまるで『灰かぶり姫』だな」 「あっ」  何気ない一言に、過敏に反応してしまう。  『灰かぶり姫』は、かつての僕だ。語りたくない過去が忍び寄ってくると、アーサーがそれを察して、僕を深く抱きしめてくれた。 「大丈夫だよ。瑠衣はもう俺のものだ。ずっと俺と同じ場所にいるから、安心しろ。堕とさない。離さない……」 「アーサー、本当に君と出会えてよかった」  僕はアーサーの広い背中に腕を回し、しがみついた。  柊一さまの結婚式と冬郷家を継承するための儀式は、もう間もなくだ。    海里が用意する指輪の行方を、見届けよう!    

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