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花の蜜 56

   森宮さんは象牙色のスーツに霞色《かすみいろ》のワイシャツ、薔薇色のネクタイをしていた。僕は藍鼠色《あいねずいろ》のスーツに萌葱色《もえぎいろ》のネクタイだ。  二人の服装はどこか似ていて……調和している。  森宮さんが優美に微笑み、僕に向けて真っすぐに手を差し出した。 「さぁ、こちらにおいで」    これは、まるで舞踏会の一場面《ワンシーン》のようだ。  僕がその手を取ると、彼の横に抱き寄せられた。  まるでそのまま横抱きされるような錯覚を抱いてしまう程、躰がふわりと軽くなった。  僕と森宮さんは、白薔薇が満開の庭園《ガーデン》のテラスの中央に立った。  ここは教会のよう。    そう錯覚してしまう程、厳かな雰囲気で包まれていた。  爽やかな風が吹けば、瑠衣が僕に被せてくれた繊細なベールが揺れる。  レースを潜り抜けた光が、しあわせの欠片となり、宝石のように芝生に広がっていく。  眩い程の煌めきで、眼前の世界は満ちている。 「柊一、俺は今日からこの家に住む」 「はい」 「ただ住むのではない。君と生涯を共に過ごしたい。その覚悟で家を出て来た」 「本当に……? 本当に僕でいいのですか」 「当たり前だ。柊一だからだ。君は俺の生き方を変えてくれた人だ」 「そんなっ……僕の方こそ」  森宮さんが合図すると、雪也が小さな木の箱を彼に手渡した。    いつの間に……?  あれはお母様からの最期の贈り物だ。  箱根の寄せ木細工の※秘密箱だ。  いつも僕の部屋の机に出しっ放しにしていた物だが、何故この瞬間《タイミング》で?  この箱は何も入っていないのに、何かが入っているような音がして不思議だった。 「勝手にすみません。兄さまの秘密箱をお借りしました」 「うん、それはいいが……何故?」  森宮さんが宝箱を手に取り、甘く微笑む。 「柊一、これは君のお母様からの贈り物だそうだね。表面には薔薇の模様、裏には『柊一』と象嵌が施さていて素晴らしいよ」 「はい、僕の宝物です。でも……その中に入れるものが思い浮かばなくて……ずっと空っぽでした」 「では……俺がこの箱に入れるものを贈っても」 「はい……でも、それって?」  森宮さんと向かい合うと、額をコツン合わされた。  途端に薔薇の香りに包まれる。  なんだか今日の森宮さんって、薔薇の精みたいだな。 「失礼するよ」  左手を恭しく掲げられ、そこに口づけをひとつ落とされた。 「えっ、あっあの……?」  僕の左手の薬指に、彼の唇がそっと触れた。  そこは……瑠衣が結婚指輪をはめてもらったのと同じ場所だ。 「ここにつける指輪を、俺が用意してもいいか」  胸が張り裂けそうな程、嬉しかった。  ずっと胸の奥が悲しみと切なさで張り裂けそうだったのに、森宮さんによって細胞の一つ一つが生まれ変わっていくような、天に昇るような心地でうっとりしてしまった。 「はい……」  そう答えるので精一杯。 「じゃあ二人で魔法をかけよう。この小箱に」 「……はい!」 「Dreams come true!」  その時一陣の風が吹き、秘密箱が風に揺れると、中からカタカタと小さな音がした。 「ん? この箱には、もう何か入っているのか」  いつも振るとカタカタと音がするのだ。 「僕もそう思って探したのですが、何も入ってないようです。でもずっと音がしています」 「一度開けてみても?」 「えぇ」  秘密箱の箱の面をスライドさせて開けていく。面をスライドさせる方向には決まった順番があり、順番通りにスライドしないと開ける事はできない。母が贈ってくれた秘密箱はかなり凝った作りで、50回以上も操作しないと開かなかった。 「なるほど。こういう仕組みなのか。アーサーちょっと来てくれ。分かるか……まだこの先に扉があるようだが」 「そういうのは得意だ。どれ貸してみろ」 「いや俺がやる」 「もう何をやっているんです。私がやります」  瑠衣も加わり皆で探ってみるが、謎は掴めない。 「あっわかった! 兄さま、ここに隠し部屋があります」  一部始終を見ていた雪也が指さした場所をスライドさせると、小さな鍵が出て来た。 「鍵だ! でも、どこの鍵でしょうか」 「あっ……もしかして」  鍵の色が特徴的だった。  僕のネクタイと同じ萌葱色《もえぎいろ》。  この色の錠前を見たことがある。 「あ……もしかして?」  白薔薇が咲く庭園には、鍵がなくて入れない場所があった。  中庭の更に奥……  両親が『秘密の花園』と呼んでいた場所に続く門の鍵では?    

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