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その後の甘い話 『海里の幸せな日々』 朝・5
「柊一、行ってくるよ」
「海里さん、いってらっしゃい」
「頼むから、今日だけはじっとしていてくれ」
「はい、分かりました。仰せのままに」
「ふっ可愛いな」
また口づけしたくなるのを、ぐっと堪えた。
淡い言葉を交わし、名残り惜しさに包まれながら、柊一の部屋を出た。
おっとまずいな。
懐中時計を見ると、いよいよ遅刻しそうだ。
焦りながら階段を降りると、雪也くんが玄関で待ち構えていた。
ん? 手には秘密箱を持っている。
「海里先生ってば、もう遅刻ですよ。それから指輪は、ここにどうぞ!」
「あぁ……そうか……気が利くな」
病院では感染予防のために、処置や手術の度に指輪や腕時計は外さないとならない。だから残念ながら指輪は置いて行かないとな。一日に10回前後着脱をしていると指輪を落としたり、なくしたりしそうだから、仕方がないのか。
「……指輪、つけていきたいな」
「海里先生ってば、そんな子供みたいな言い方」
「あぁ悪いね。つい」
「いえ、本音を漏らして下さって嬉しいです」
「雪也くんには甘えてしまうな」
「ふふ、指輪を外しても、僕には見えますよ。ちゃんとそこに輝くものが」
「ありがとう! とにかく今日だけはゆっくりさせてやってくれ」
「了解です!」
小さかった雪也くんが、今日は頼もしく見える。
そんな雪也くんに見送られながら出かけるのも、悪くないな。
君は柊一の弟だが、俺の息子のようにも思えて来るよ。
****
「あの……もしかして?」
門を出た所で、女性に突然話しかけられた。
「あぁ、久しぶりですね」
その人は、柊一の幼馴染の白江さんだった。
相変わらず美しい容貌だ。
白い卵型の輪郭に美しい曲線を描く眉。筋の通った鼻梁。憂いを含んだ瞳。漆黒の長い髪を今日は水色の絹のリボンで緩く束ねていた。
「おはようございます。あぁ嬉しい! ついに……なんですね。こんなお時間に、ここから出ていらっしゃるという事は!」
彼女の頬は。薔薇色に高揚していた。
「……まぁそういうことだ。その節はありがとう。君の助言が役に立ったよ」
微笑んで、つい片瞬きしそうになったが、ぐっと堪えた。
確か以前、彼女に注意されたよな。
「ふふっ、今度お披露目して下さいな。柊一さんのお惚気顔を見せてください」
このご時世に女性の方から積極的な申し出に驚いたが、それだけ柊一と仲がよい幼馴染なのだろう。
何もなかったのか心配になる程に……
「いやだわ。ご心配無用です。それは先生が一番、ご存じでしょう」
華やかに笑う彼女もまた……艶やかな薔薇のような人だと思った。
「そうだったな。これは失礼。では改めて柊一と相談してご招待します」
「お待ちしております。あのごめんなさい。お仕事に遅刻しませんか」
「あぁまずい!では!」
柊一を抱いた翌朝……
それはどこまでも爽やかな、希望に溢れる朝だった。
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