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その後の甘い話 『庭師のテツの独り言』1
夏の日差しが、つばの広い麦わら帽子を、じりじりと照らしている。
広大な敷地の庭の手入れをしながら、額に垂れてくる汗を腕で拭った。
入道雲がそびえ立っているな。
一雨くるか――
「……海里さん、元気かな」
彼がこの屋敷を出て行ってから、なんとなく物足りない日々だ。
雲の向こうに海里さんの明るい笑顔が見えるようだ。
随分とまぁ……晴れやかな顔で、嬉しそうに出て行ったもんな。
森宮家では公にされていないが、どうやら海里さんは結婚のため家を出たらしい。こんな資産家の息子が外に? だが次男坊なので差し支えがないのか。
一介の庭師の俺が聞いても解らない世界だし、ご当主様から正確な話を聞いたわけでもない。だが今年に入ってからの海里さんの浮き足だった言動からみても、移り住む屋敷のお嬢さんと深い恋に落ちたことは、聞くまでもない事実だ。
何度かその件について、海里さんとは語ったよな。
『どんな人なんです? あなたをそこまで変えた人は、あなたをそこまで虜にした人は?』
『テツ……それがさ、今までに出逢った事のないタイプで……白薔薇が似合う清楚な子なんだ。初心で清純だから、とても大切にしている』
少し面映ゆそうに……そして、甘やかな笑顔を浮かべていた。
彼のあんな表情は初めてだった。
どうやら海里さんは俺より先に、運命の人と出会い、真実の愛を見つけたようだ。
****
御曹司の海里さんと庭師の俺は、同い年だった。
中学を卒業した俺がこの屋敷に庭師見習いで入ってから、長い年月を共にした。彼は途中、異母弟なのに冷遇されていた瑠衣と一緒に英国に留学したり、医師免許を取得してからもドイツや英国に何度か出向き、なかなか忙しい人だった。
だが日本にいる時は、時折部屋からふらっと庭に出てきて、俺と喋ってくれた。
息詰まる屋敷の中よりも、開放的な庭がいいと、よく言っていた。
庭仕事しか能のない俺は、彼のそんなおおらかな性格が好きだった。
日本を代表するホテル・オーヤマグループの御曹司なのに、ざっくばらんな性格に意気投合して、20代後半には、こっそり庭先で夜な夜な酒を酌み交わす程の仲になっていた。
そんな海里さんが夢中になっている姫君に、一度会ってみたいものだ。
あの日、海里さんに贈った白薔薇の新しい品種はどうなったろうか。
確か名前は『柊雪《しゅうせつ》』と迷いなくつけていたな。
もしかして結婚されたお嬢さんの名前から取ったのか……
****
水を飲みながら芝生に腰を下ろし休憩していると、茂みの向こうから呼ばれた。
「おいっ、テツ!ちょっといいか」
「えっ海里さん? なんでそんな所から」
庭の塀を颯爽と乗り越えて、突然、海里さんが登場した。
まったく……相変わらず大胆な人だ。
「やぁ、久しぶりだな!」
「どうしたんです? 急に」
「実はお前に頼みがあってさ」
屋敷にいた時よりも更に充実した様子で、海里さんが微笑んだ。
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