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その後の甘い話 『庭師のテツの独り言』5

 「よし、これで明日の準備は完了だ」  肥料や苗木、剪定のための道具をひとまとめにしてから、自分の部屋に戻って来た。  「なんだ……まだ夜の8時なのか。もう、やる事がないな」  住み込み庭師の俺の夜は、いつだって退屈だ。  日中は庭にいれば時間など瞬く間に過ぎていくが、夜は長い。  することがないと、何とも手持無沙汰だ。  こんな時、俺は根っからの職人気質の庭師だと自嘲してしまう。  いつだって1年中……庭のための時間を惜しまず、材料選びや作庭へかける想いに拘っている。  だが、こんな夜は──  海里さんがこの屋敷にいた頃は、庭でよく酒を酌み交わしたな。  使用人の棟の、一階に住む俺の部屋。  この窓を、海里さんはコンコンとリズミカルにいつも叩いた。 …… 『テツ、出て来いよ』 『海里さん、またですか』 『晩餐会で残りの白ワインを失敬してきた。一緒に飲もうぜ』 『フッ……いいですよ』  中庭の東屋で、海里さんの持ってきた上質なワインを口に含むと、俺の気分もすぐに解れたものだ。 『なぁテツ。白薔薇って本当に綺麗に咲くんだな』 『どうしたんです? 花になんて興味なかったのに』 『そうだったな。だが今は白薔薇に夢中だよ』  そう言いながら目を細める海里さんは、少年の頃のように高揚した表情を浮かべていた。     彼のこんな顔は、久しぶりに見る。  あの日……異母弟の瑠衣を連れて英国に旅立つ朝のようだ。 『テツ、俺、今から英国に行ってくる』  まるで近所に散歩に行くように軽く言い放ったので、驚いた。 『突然ですね』 『瑠衣を連れて行く。俺も瑠衣も外の世界を見て来るよ』 『……そうですか』 『テツは、ずっとここにいるのか』 『俺は庭いじり以外に興味はありませんからね』 『じゃあ、お前には英国庭園の写真を土産にするよ』 『いいですね。待っていますよ』  数年後、帰国した海里さんは、とても疲れていた。  英国で何かあったのか。  何に疲れてしまったのかは、分からない。  何も知らない方がいいだろう。  一介の庭師が聞くべき事ではないから。  それでも俺には英国庭園の写真をアルバムにしたものと、英国製の剪定鋏をちゃんと買ってきてくれた。  それがこの鋏だ。 ……  柄にもなく、随分昔の事を思い出してしまったな。  明日、海里さんが今暮らしている屋敷に向かう。  海里さんは朝から仕事でいないそうだが、お嫁さんには会えるようだ。  きっと海里さんの奥方は、白薔薇のように清楚な女性だろう。    明日の事を考えると、久しぶりにワクワクした気持ちになる。  俺の手で、その荒廃した庭を、しっかり復元してあげますよ。  長年……俺に上質なワインを飲ませてくれたお礼ですからね。 **** 「ん……あの、そこはっ」 「駄目か」 「外から……み、見えませんか」 「ギリギリ、シャツに隠れる所だよ。だから安心して」 「そうなんですね、なら……つけてください」  ベッドに沈めた柊一のパジャマのボタンを開き、鎖骨の上を吸い上げていく。相変わらず絹のような上質な肌だ。  痕をつけたかった。俺の愛撫の印を……  柊一の躰の一部になりたくて、痕を残した。 「ん……っ」  柊一が眉間に皺を寄せたのを見て、罪悪感に駆られてしまう。 「痛かったか。ごめんな」    しっかり痕のついた赤い部分を、今度は優しく労わるように舐めてやる。 「ん、くすぐったい……です」 「本当に悪かった」 「いえ……嬉しいです。海里さんになら……何をされても嬉しいから」  おいおい……なんて危ないことを。  そんな無防備な言葉を吐くのは、よしてくれ。  自分が仕掛けた罠に、嵌まっていく気分になるよ。 「海里さん……明日から僕も庭づくりの手伝いをしてもいいですか」 「あぁもちろん。君の両親の残したに庭は、君のものだ。好きにするといいよ」  まぁ、テツなら大丈夫だろう。  だが少々妬けるので、次は俺が休みの日に来てもらいたいな。 「海里さんも、今度は一緒にしませんか」 「あぁもちろん。だが老夫婦のようだな」 「え?」  意外な事を言われたと、柊一は目を丸くした。  その表情が一段と可愛くて、深い口づけを強請ってしまう。 「庭いじりもいいが、君とはもっと、いろんなこともしたい。なぁどこか行きたい所はないか。新婚旅行に行きたくないか」 「そうですね。僕たち、これからいろんな所に行きましょう。海里さんとなら、どこへでもついていきます」 「ありがとう。秘密の庭園での結婚式をしたら、新婚旅行に連れて行くよ。行先に希望はある?」 「楽しみです。できれば……」 「できれば?」 「瑠衣のいる……英国に行ってみたいです」  いい案だ。アーサと瑠衣の元に、今度は俺たちが行ってみよう。 「じゃあ雪也くんの体調が落ち着いたら、三人で行こう」 「あ……嬉しいです。雪也のことも、いつも一緒に考えて下さって」 「雪也くんは、俺の息子のようだ。彼の事もとても愛おしい」 「海里さん……そんなあなたが、大好きです」  柊一が心から優しい笑顔で笑ってくれる。  細い腕で抱きしめてくれる。  夜はこれからだ──    

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