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その後の甘い話 『庭師のテツの独り言』8

「海里さん、お気をつけて」  いつもなら朝からノーブルなスーツに糊の利いた白シャツ……きちんとした服装なのに、今日の柊一は見たこともないワークパンツにTシャツ姿だった。  なるほど、庭仕事を手伝うためなのか。  随分張り切っているのな。  こうやって目前の事に臨機応変に対応するのが、柊一らしく律儀だと思う。俺なんて面倒でスーツのまま庭仕事をしたら、泥だらけになってテツに笑われたのに。  実に良い心がけだ。 「うーむ」 「どうされましたか」 「いや、いつもに増して可愛い君を置いて行くのが、心残りだ」 「海里さんってば。あの……僕だって男ですよ? 今日は久しぶりに沢山躰を動かそうと思っています」 「そうだな。でも日焼けと怪我にだけは注意してくれよ。あとほどほどに、夜に余力を……」 「あっ……はい、それは……分かっています」  柊一が、俺を意識して頬を染める。  こんな風に、彼の面映ゆい表情を見るのが好きだ。 「そうそう庭師の名はテツだ。実は俺の屋敷の庭師で、長年の酒飲み友達だ」 「そうだったのですね。海里さんのお友達ですか。ますますお会いするのが楽しみになりました」  玄関で、いつものように君に結婚指輪を預ける。 「これを頼む」 「はい、夜までお預かりしますね」 「柊一……」 「はい」  柊一が俺を見上げ、そっと瞼を閉じてくれたので、彼の可愛い唇にチュッと淡い接吻を落とす。 「行ってくるよ」 「いってらっしゃい」  俺の姿が見えなくなるまで、いつも柊一は玄関で見送ってくれる。  あぁ名残惜しい。  すると曲がり角で、大荷物を背負ったテツとぶつかりそうになった。 「おっと!」 「あっ、海里さんじゃないですか」 「テツ、ずいぶん朝早く来たんだな」 「おはようございます。それがですね、雄一郎さんにもうバレバレでしたよ」 「え? そうなのか……おかしいな」 「まぁそのお陰で、堂々と仕事で来ることが出来そうです」 「ん? どういう意味だ」 「レストラン事業の件で、洋館の中庭を整備しろと頼まれましたよ。テラス席も作られるそうで」  なるほど! そうか、それなら俺もコソコソしなくていいわけか。 「じゃあ今度は、絶対に俺がいる時に来いよ」 「ははっそんなに心配なんですか。溺愛している奥さんのことが」 「……まぁ、そうだ。柊一が助手として手伝うと張り切っていたから、よろしくな」 「えぇ」 「おっと遅刻しそうだ。またな」 ****    曲がり角で、海里さんとぶつかりそうになった。    そして話の途中で、海里さんは消えてしまった。  ところで『柊一《しゅういち》』って、誰ですか。  確認しておこうと思ったのだが……  俺を手伝うとは庭師見習い? それともお屋敷の使用人か。  呼び止めようとしたが、海里さんの長い足だ、あっという間に背中が小さくなっていた。  まぁいいか、行けば分かるか。  さてと、ここが冬郷家の屋敷か。  流石に森宮家よりは小さいが、かなり立派な建物だ。瀟洒な煉瓦造りの洋館には蔦が絡まりが、正面玄関から見えるアプローチには見事な白薔薇が咲いている。  あれが海里さんが育てた白薔薇か。  あの時は、奥方に愛を囁くために薔薇の手入れに必死だったよな。  呼び鈴を押すと、すぐに中から若い青年がパタパタと出て来た。  ん? 随分と可愛らしい顔をしているな。 「はじめまして。庭師のテツさんですよね」 「えっと……あなたが柊一さんですか」 「はい! あの……僕の事も知って?」 「えぇ海里さんから聞きましたよ」 「そうなんですね。なら説明は大丈夫ですね……ふぅ良かった」  何故か心の底から安堵しているようだ。    Tシャツにワークパンツ姿の青年は庭師見習いにしては品が良いと思ったが、世の中いろんな事情がある。干渉するのは良くないと判断し、気にしないように努めた。 「早速だが、俺が手入れする庭園を見せてもらえるか」 「はい!」  キビキビとしたいい返事をする。  これは助手として役立ちそうだ。助かるな。  海里さんに頼まれた秘密の庭園の場所と、中庭の状態を確認した。  なかなか荒れ放題で、これは暫く通う事になりそうだ。 「ここは萩のトンネルか」 「はい、分かります?」 「ここも修復しょう。どうやら秘密の庭園への大切なアプローチとして造られているようだ」 「そうなんですね。やっぱりプロの庭師の方は違いますね。流石ですね」  秘密の庭園はかなり荒廃していたが、隅々にまで愛が溢れていた。  愛する人のために造られ、愛する人と過ごすための庭園だったらしい。そして今日からは海里さんの愛する奥方のための庭として、生まれ変わっていく。  その手伝いが出来て嬉しい。  庭師として、幸せの手伝いが出来るのは本望だ。  

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