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その後の甘い話 『庭師のテツの独り言』9
柊一という青年は、実によく働く青年だった。
庭師の仕事は未経験のようで知識はなかったが、呑み込みも早く、何より前向きな姿勢が良かった。
教えたことを、素直にどんどん吸収していく。
穢れない澄んだ目をしている。
一生懸命だ。
どこかで見た瞳の色……あぁそうか……故郷に置いて来た弟を彷彿するのだ。
15歳で俺は家を出た。弟は12歳だった。いつも俺の後をついてきた可愛い弟だった。俺が家を出ると決まった時、いろんなことを学ぼうと必死になった。あの子の、あの時の目に似ている。
「疲れないか。少し休憩してもいいぞ」
「大丈夫です!」
「そうか、じゃあ悪いが、この土を向こうに運んで」
「はい!」
細っこい躰で大丈夫かと、チラッと見る。
白い頬を紅潮させ、汗水垂らして頑張っている。
君は……この屋敷の書生か。
庭仕事も手伝うとは、働きながら通う苦学生か。
「そうだ……君、学校に行かなくていいのか」
「え?」
「だってまだ高校生だろう?」
「え!」
目を丸くして……
俺、変なこと言ったか。
「あの……僕はもう卒業していますので」
「そうか、あぁだからなのか」
そうか、高校を卒業して、この家に就職した使用人だったのか。
なるほど……まぁ海里さんからも頼まれているし、しっかり庭師の仕事も教え込んでやろう。
「君は庭師の仕事に興味があるのか」
「あ、はい。秘密の庭園を僕の手で修復してみたいと」
これはまた……素人なのに、随分壮大な夢を。
しかしこの庭園はひどいな。
かつては専属の庭師が丁寧に手入れしていたようだが、本当に荒れ放題だ。
「庭師が去って、どれくらい経つか知っているか」
「……二年以上になるかと。あの修復できるでしょうか」
「そうだな。俺一人では何とも、君の頑張り次第だ! 頼りにしているぞ」
「嬉しいです! 僕、精一杯頑張りますので、色々と教えて下さい」
「よし、バテるなよ」
「はい!」
華奢な躰だ。
岩を動かしたり高い所に登って枝を切るのは、無理そうだ。
だから彼に出来る範囲の仕事を、最大限に頼んだ。
「あの……そろそろお昼を召し上がりますか」
「へぇ、何か出してくれるのか」
「ええ、もちろんです。用意してきますね」
「助かるよ」
ふーん、至れり尽くせりの館だな。
そう言えば海里さんが愛する嫁さんは、なかなか姿を見せない。
きっと童話に出て来るような深窓の令嬢なのだろう。
日焼けする庭仕事なんて、するはずもない。
きっと今も空調の効いた部屋におり、レースのカーテンの物陰で優雅に読書でもしているのだろう。
ふん、世界が違うな。
ここに来るまでは嫁さんを見たくて堪らなかったが、いつの間に俺の関心は、よく働く『柊一』という青年に移っていた。
いい助手になりそうだ。仕込み甲斐があるな。
「あの、これどうぞ」
暫くするとエプロンを付けた修一がトレーに美味しそうなサンドイッチと檸檬パイをのせて戻ってきた。
「へぇ、もしかして(令嬢の)お手製か」
「そうなんです」
「美味しそうだな」
「お口に合うといいのですが」
どれ、海里さんの奥さんの料理の腕前をみるか。
「ん……すごいな。うまい!」
海里さん、あなたは幸せなんですね。
料理上手でおしとやかな女性を……妻にして。
檸檬パイの味は格別だった。
以前……海里さんの母親が作ってくれた味と似ていた。
いい奥様だったな。
亡くなられたのが残念だ。
****
「だたいま」
「海里先生、お帰りなさい」
「やぁ雪也くん。あれ? 柊一は」
「……それがですね」
雪也くんは小指を立て静かにとジェスチャーしながら、俺を居間に案内してくれた。
柊一はソファでクッションを枕に転寝をしていた。
まだ洋服も着替えていないので、泥だらけではないか。
なるほど、よほど張り切って庭仕事をしたのだな。
まぁこうなる予感はあった。
何でも真面目に夢中で取り組む君だから。
あれだけ疲れすぎないようにと念を押したが、これは無理そうだなと苦笑した。
でも来年……俺たちが結婚式を挙げる庭のために、両親の残した秘密の庭園の修復のために奮闘している君の想いがいじらしい。
「柊一……転寝は身体によくない。起きて」
さてと、まずは風呂に入れてやろう。
あぁ手もこんなに荒れさせて。
入浴後は肌の手入れもしてやらないと。
「柊一……」
「ん……あっ、海里さん」
「ただいま」
「……おかえりさない、僕……眠って?」
「ありがとう」
「え……どうして?」
「可愛い姿を見せてくれて」
仕事から帰ってきて、こんな風に君の世話をするのも悪くない。
むしろ嬉しい。だから、ありがとうと伝えた。
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