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その後の甘い話 『庭師のテツの独り言』10
「テツさん、今日はありがとうございました」
「あぁ君も頑張ったな。呑み込みも早いし上出来だ」
「嬉しいです。あの、次はいつお見えになりますか」
「そうだな、明後日かな。それまでに君にやってもらいたいことがある。明日は任せてもいいか」
「もちろんです」
柊一は額に大量の汗をかき疲労感が漂う様子だったが、ハキハキと受け答えして好感が持てる。
なるほど、海里さんは使用人にいつも恵まれていますね。
この屋敷は隅々まで居心地がいいですよ。俺も気に入りました。
いつにない充足感に包まれながら、家路についた。
ちらっと振り返ると、柊一と目が合った。
彼は優しく微笑み、ぺこりとお辞儀してくれた。
ははは、やっぱり可愛いな。
今日は帰ったら久しぶりに弟に電話してみようか。
俺は、柊一を通じて可愛がっていた故郷の弟を思い出していた。
****
庭師のテツさんの姿が見えなくなる迄、しっかり見届けた。
それから、ふぅと脱力し屋敷の門柱にもたれた。空を見上げると、見事な茜色に染まっている。
つ……疲れた。想像以上にハードだった。そして想像より人使いの荒い庭師だった。まるで僕が庭師見習いになった気分だ。
でも久しぶりにしっかり働けて気持ち良かった。やり甲斐のある仕事だ。
「あら、柊一さんじゃないの」
「白江さん!」
「ふふ、どうしたの?その格好」
「あぁ今日は庭師の手伝いをしていてね」
「まぁご当主自ら?」
白江さんは相変わらずの美貌で、きっと庭いじりなんてした事ないだろうと、綺麗に伸ばした爪や白魚のように白い手の甲を見て思った。
「うん、どうしても僕の手で修復してみたい庭があってね」
「素敵ね。にしても……その姿じゃまた高校生に戻ってしまったみたいよ」
「やっぱり? 今日、同じ事を言われたよ」
「誰に?」
「庭師に」
「まぁおもしろいこと! それに、ずいぶん偉そうな庭師さんなのね。当主のあなたに向かって」
「海里さんのお友達だそうだよ」
「なら許しましょう」
「ははっ」
幼い頃の白江さんは今と違ってお転婆で、よく僕たち公園のように広い庭で泥だらけになって遊んだのを思い出す。彼女も同じ事を感じていたようだ。
「お庭が綺麗になったらティーパーティーをしてね。おばさまを偲びたいわ」
「うん、必ず招待するよ」
未来に向かってやりたいことが、また一つ増えていく。
一つの希望が、次の希望に繋がっていく。
そういう風に生きられるのが、嬉しい。
家に入ると、誰もいなかった。
「そうか……雪也はまだ学校か」
雪也が下校する迄、少し休ませてもらおうかな。
ソファに座ったら最後、かくんと意識を失うように眠ってしまった。
****
「ただいま。あれ、兄さま? どこですか」
玄関で出迎えてくれるはずの姿が見えなかった。
心配になり慌てて兄さまの部屋を覗くが何処にもいなかった。
「どうしたんだろう。急なお出かけかな……珍しいな」
急いで学生服を脱ぎ寛いだ服に着替えて、下の階に降りてみた。
「兄さま……いつもならおやつを出して下さるのに……少し喉が渇いたな」
厨房で水を飲んで居間に入ると、ソファでうたた寝している兄さまを見つけた。
「兄さま! あぁよかった。こんな所にいらしたのですね」
眠っている兄さまの前にしゃがみ込んで、顔色を伺う。
「兄さま……どこか具合でも?」
兄さまのこういう姿は久しぶりだ。以前まだ外の会社にお勤めの頃は、僕の病院に付き添っては、いつも待合室のソファで眠ってしまった。
あの時の兄さまは顔色も悪く疲労困憊で、ずっと眉間に皺を寄せていた。
でも今日は疲れているようだが、とても充足した顔で眠っている。
「いい夢を見ているのですか」
口角も上がり、幸せそうだ。
それにしても随分と泥だらけになって……
あーあ、手もちゃんと洗いましたか。いつも僕のことを厳しく注意するのに。
「どうかもう少し眠って下さいね。王子様が迎えに来るまでは」
勿忘草色のブランケットをそっとかけてあげると、寝顔はやはりとても安らかだった。
そのまま僕もソファに腰掛け、兄さまの様子を静かに見守る。
いつも僕を守って下さる兄さまを守っているようで、不思議な気分になった。
いつか僕が大人になったら、この家ごと兄さまを守りたいです。
「兄さま、もうすぐですよ。ほら……」
玄関のインターホンが、海里先生の帰宅を知らせた。
「兄さまの王子さまのお帰りですよ」
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