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その後の甘い話 『庭師のテツの独り言』13

「おやすみなさい。海里先生」 「あぁおやすみ。君が眠るまで、ここにいるよ」 「えっ、でも……よろしいのですか」 「当たり前だ」 「……わ……嘘みたい。嬉しいです」    雪也くんは恥ずかしそうに頬を染め上げ、布団にずるずると潜っていった。  仕草が可愛いな。 「本当は、ひとりも暗闇も怖くて……眠りにつく時が一番怖くて。だからつい兄さまをいつも頼ってしまって」 「分かっているよ。俺にも甘えてくれて嬉しいよ」 「先生……僕はいつも……寝ている間に突然心臓が悪くなって、このまま目を覚まさなかったらと思うと、不安になります」 「大丈夫だ。そんなことは起こらない。俺を信じて」 「……はい」  雪也くんは一般的な中学生よりも、ずっと幼い。  病弱で学校に行けない事が多く両親に溺愛されていたのに、その両親を交通事故で一度に失う悲運に遇ってしまった。病気への不安と両親の事故の喪失感が、やはり影を落としているようだ。  柊一が全部引き継いで、兄としてだけでなく両親の代わりにもなり深い愛情を注いで来たが、時々こんな風に不安が忍び寄ってしまうようだ。  君は俺と柊一で、大切に育てて、ちゃんと大人にしてあげたい。  もっと甘えるといい。これからは俺にも―― 「先生、僕はいつ頃手術を受けられますか」 「そうだね。来週詳しい検査をする予定だから、それ次第かな」  ベッドの傍で静かに読書をしていると、やがて雪也くんの規則正しい寝息が聞こえてきた。 「よしよし、いい夢を見てくれ」  部屋を離れようと席を立った瞬間、カーテンに隙間があったようで、雪也くんの枕元に月光がスッと差し込んできた。雲から月が顔を出したのか。 「眩しいかな。閉じた方がいいか……」  窓辺に近づくと、隣の部屋の窓がギィ…と開く音がした。  どうやら柊一が目覚め、外の空気を吸おうと思ったらしい。    窓越しに話しかけてみる。 「柊一、起きたのか」 「海里さん……あっ雪也を寝かしつけて下さったのですか」 「あぁ今、寝たよ。そうだ、このバルコニーに出てみないか」 「はい」  アーチ型の両開きの窓の先は、小さなバルコニーになっていた。    月明かりの下、夜風に吹かれバルコニー越しに会話するのも、なかなかロマンチックではないか。 「本当にすみません。僕……あの、まさか湯船で?」 「その通りだ。ぐっすり眠っていたよ。だが流石に危ないから気をつけないと」 「すみません。海里さんの顔を見たらホッとしてしまって、本当にごめんなさい」 「そんなに謝らなくてもいい」 「海里さんが戻って下さって、嬉しかったのです」 「嬉しくて、一人で寝てしまったのか」 「でも起きました」 「はは、可愛いね」  バルコニーは隣り合っている。  だから……すぐに柊一を掴まえる事が出来る。  手を伸ばし彼の顎にそっと触れると、柊一も意味を理解したらしく、顔を俺の方に向けて瞼を閉じてくれた。  月光を斜めに浴びた君はゾクッとする程美しく、眠りから目覚めたばかりの姫のようだ。  この家には、いつもおとぎ話の世界のような優美な時間が流れているな。  そっと唇を重ねると、柊一の吐息はとても甘やかで、うっとりしてしまった。  口づけ一つで、酔いしれる。 「もっと欲しくなるね」 「あの……」 「もう目覚めた? 疲れは取れたか」 「はい、でも、その……お腹が空いてしまいました」 「そうだったね。おいで、夜食を作ってあげよう」 「夜食ですか! 嬉しいです」  愛する君のために出来る事があるのが、嬉しいよ。   「夜食の後は、甘いデザートも一緒に食べよう」 「……はい、いいですね」  言葉の真意をどこまで理解しているのか分からないが、一応事前に伝えておいた。    

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