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その後の甘い話 『庭師のテツの独り言』 16
その晩、久しぶりに東北の実家に電話をした。
「兄さん! 久しぶりですね。元気でしたか」
「あぁお前もしっかり働いているか」
「もちろんですよ。もう何歳だと?」
「そうだな。俺たちいい歳になったよな」
「あの……兄さんは、まだ結婚しないのですか」
やれやれ、またその話か。
最近実家に電話をすると、母親だけでなく弟まで五月蠅く言ってくるようになったので、苦笑した。
「お前はどうだ? 結婚生活は楽しいか、別嬪な奥さんもらって幸せだな」
「はい……息子も娘も大きくなりましたよ。兄さんも、たまには帰省してくださいよ。お見合い話も来ていますよ」
「ははっ庭の事が気になって、それどころじゃない。そっちの事はもうお前に任せている。頼んだぞ」
「……それは分かっていますが、僕が兄さんに会いたいんですよ」
「可愛いこというんだな。二児の父親にもなって」
「……それは言わないで下さいよ」
どうしてだろう?
結婚とか恋愛には、全く興味が湧かない。
興味は、庭の植物のことばかり。
職業病というよりも、俺の前世は植物だったのではと思いたくなる程の没頭ぶりだ。
それでも弟という存在だけは、昔から可愛く感じる。
今日会った柊一も、まるで俺の弟みたいに可愛かったな。
俺が東京に出て来てから他人に関心を持ったのは、せいぜい海里さんと瑠衣くらいだった。
そうだ……瑠衣。
彼は今どこで何をしているのか。
英国に留学した後、日本で執事としてどこかの屋敷に就職したと風の便りで聞いたが、一度もこの屋敷には顔を見せない。
俺もこの屋敷から出ることがほとんどないので、お前の行方は分からない。
海里さんに聞けば分かるだろうが、聞いていない。
この家で瑠衣と出会った時……俺は庭師見習いで、瑠衣は一介の使用人だった。しかも底辺を彷徨う、みすぼらしさだった。
『親方、あの子、大丈夫ですかね』
『ん? あぁあれは瑠衣か……あの子には関わるな』
『でも俺と年も変わらないのに、ずいぶんくたびれて可哀想です』
『いいか、テツ。我々はただの庭師だ。お屋敷の内情にはゆめゆめ関わるな』
『……はい』
親方にキツク言われて我慢したが、時折見かける瑠衣はたおやかで美しいと不釣り合いの、底辺の仕事ばかりさせられていた。どうやら他の使用人からもつまはじきにされているようで、彼の辛い状況を見る度に胸が痛んだ。
あんなに品の良い顔をしているのに、どうして?
一体……どういう事情の子なんだ?
このままでは、いつかもっと何か良くない事に巻き込まれる。
そんな予感しかしなかった。
そんなある日、あれは寒い冬だった。
夕暮れ時に庭掃除をしていたら、突然お屋敷の掃き出し窓が勢いよく開いて、中から人が飛び出して来た。男たちが焦って逃げるように去って行ったので、怪しく思い、窓が開いたままの部屋の中を覗くと……
あーやめたやめた。
思い出すのは、やめよう。
人の世は難しい。いらぬ恨みを買ったり、清廉潔白に生きようとしても他人に堕とされる事もある。
そんな瑠衣がある日突然、海里さんと一緒に英国に旅立った。
俺は庭の木陰からそっと見送ったよ。
その後親方から聞いたが……瑠衣はこの屋敷の旦那さまの、公には認知されていない非嫡子だったそうだ。
そんな事情があったとは……
せめて元気で生きていればいい。
願わくば、幸せな色の花を咲かせて……
今日会った柊一も、もしかしたらかつての瑠衣みたいに、堕とされた身分なのか。
いや、違うな。
彼は幸せそうに庭仕事をしている。
自ら志願して。
彼の素性は不明だが、なかなか興味深い人物だ。
次に会う時には、もっと彼を知ることが出来るだろうか。
もしかして俺が腰を抜かす程、驚くべき何かが隠されていたりな。
はぁ……俺も眠くなってきた。
今日はかなりの仕事量だったから、きっと今頃、柊一は爆睡しているだろう。
「兄さん? さっきから、ずっと無言ですよ」
「あぁ悪い、昔を思い出していた」
「僕のことも? 僕も……兄さんのこと考えていましたよ」
「あぁお前の可愛い寝顔やおねしょした泣き顔もな」
「もう!それはっ忘れてくださいよ」
「さてと、そろそろ寝るよ、眠くなってきた」
「またいつでも電話して下さい、兄さんと話せて嬉しいから」
「あぁお休み」
故郷の可愛い弟の寝顔を思い出し、俺も眠りについた。
皆、それぞれに……いい夢を。
俺はそんな皆を、見守るのが好きだ。
樹のようにじっと……動かずに。
補足(不要な方はスルーで)
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かつてテツがお屋敷で見た事とは……
スピンオフ小説『ランドマーク』
第1章 『旅立つまでの日々 紐解いて』にて描写しています。
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